2007年12月26日水曜日

11月のタテヤマ

 恒例の勤労感謝連休の立山、そういえば、この連休を昔はシルバーウィークと呼んでいたような気がするが、連休だらけになった今ではあまり目立たない。今さらの感もあるが一応頂きもののすばらしい写真を貼り付けておこう(撮影:まっちゃん、スキーヤー:ワタシ)。22日まで降り続いた雪がたっぷり積もった中、快晴となった23日に剱御前や雷鳥沢を楽しく滑った。これだけたくさんの雪が一度に積もったのだから、「ナダレ」という言葉も脳裏をかすめたが、弱層がなかったらしく北海道以外では雪崩事故もなかった。私たちは十分前から予約していたので雷鳥荘で連泊したが、一緒にいったPowder Guide系の人たちは途中でロッジ立山連峰に移動した(ここは「山小屋」なので夜遅くまで騒いでいると叱られる、とのこと)。今回連れられて初めて行った室堂山や国見山でも良い斜面をいくつか味わうことができた。写真やビデオを仕事にしている人たちは、好条件に恵まれてずいぶんいいのがたくさん撮れたことと思う。めでたしめでたし。

2007年11月6日火曜日

からまつのはやし


 白骨温泉から十石山に登る道の最初のところは、きれいなカラマツの林を通る。ちょうど黄葉の盛りで、あたたかい茶色に色づいた葉が、風もないのにちらちらと降り、粉雪の降るようすを思い出させる。散り敷いた葉は、登山道をふんわりと覆い、その感触は足にやさしい。林床にたまった葉は、やわらかく光を反射し、晩秋の心細い日の光を残さず使って、林の中を明るくしてくれる。山頂から眺めた穂高は、まだわずかに白いだけだったが、風の冷たさは晩秋という季節を思い出させてくれた。

2007年10月23日火曜日

生産終了につき

長野県中野市のカメラメーカーコシナが怒濤の勢いでラインアップを拡大したvoigtlanderブランドレンズ。性能のいいのは分かっているが、出会ったときに買わないと今度いつまたお目にかかれるか分からないという中古カメラの世界になじんでいると、現行商品でいつでも買えると思うと、つい「また今度」と思ってしまってなかなか買えなかったが、かなり商品の整理がすすんで「生産終了」のものも多くなってきた。このSCレンズも、生産終了で店頭在庫限りとなったので、通販サイトをサーチして21ミリレンズを買っておくことにした。よく見えるファインダーもセットでついてくるのでお買い得感がある。
コンタックスにつけてみたら、どうも似合わない。voigtlanderとzeissがかちあっているみたいだ。そこで、ロシア製コンタックスのキエフにつけてみたところ、なかなかいい感じだ。似て非なるコンタックスどうしで、気が合うらしい。

2007年10月16日火曜日

色づく秋



8月に歩いた御岳の頂上部周遊コースを逆回りしてみた。8合目まで登ると、まさに「錦繍」の世界の始まり。三の池方面へのトラバース道に沿って行くと、さまざまな色に染まった景色を堪能できた。さすがに日も短いので北端の継子岳はカットして三の池の周囲を回るにとどめたが、飛騨頂上の小屋のあたりでは寒風が吹きすさび、昼近いのに気温は零度。霜柱や氷柱が残っている。小屋に飛び込んでカップラーメンやチャイを注文してしばし文明の恩恵に預かり生き返る。気を取り直して、眺めの良い摩利支天岳に向かう。三角点への道は稜線の南側に付いているが、なかなかruggedで野性的な道。風が当たらず、木の実(写真はクロマメノキ。ちょっとしなび気味になったのが格別の味わい。)をつまみ食いしたり、小鳥と遊びながら楽しく往復した。賽の河原から二の池畔に出るところでは、ポッと突然緑色の湖面が目に入り、思わず声がでる。荒涼とした一の池を回ってついに剣が峰に到着。6合目までノンストップで駆け下ると、さすがにちょっと膝に来たが、8月のときほどではなく、まぁまぁ無事に今日も行程終了。来年あたりは長さで知られる開田口を試してみようかな。いつもながら上天気さんには、いろいろお世話になりました。

2007年10月9日火曜日

山小屋トイレ事情いろいろ


木曽駒ヶ岳を伊那から木曽へ横断した。途中で見かけた山小屋や避難小屋で、さまざまにトイレによる汚染対策がなされているようすが興味深かった。宿泊した伊那市営西駒山荘では、吸収シート付きの袋に大・小ともに入れ、備え付けのドラム缶に入れて保管し、後でヘリで荷下ろしするという仕組み。男の小便のみは通常のアサガオでしていいことになっている。袋はひとつ100円。小屋に着くとまず使用方法の説明がある。木曽駒ヶ岳はほとんどの人がロープウェイで登るので、西駒山荘を経由して人力で登る人は少なく、利用者が少ない故に可能な方法のように思える。落ち着いた雰囲気の良い小屋だった。
一方、山頂から木曽福島へ下る途中にある7合目避難小屋では、非常に先鋭的な微生物分解システムが装備されている。この小屋は稜線上にあり水利はわるいのだが、約1km離れた水源から延々とホースで水を導き、さらに必要な電力は風力と太陽電池で供給しているそうだ。面白いのは個室に入ったところにある表示で、「合併浄化槽は内部で嫌気性菌が大まかに分解した後、好気性菌がより細かに分解処理しています。分解菌には、餌(うんち)が必要です。正常に働かせる為にも皆様に大便の利用をお願い致します。」とある。山に来て大便をするのは、環境に負担をかけて良くないことと思っていたが、このようにプラスな場合もあるのだなぁと、思わずご協力させていただいた。厳しい自然環境の中で、しかも避難小屋という管理の徹底しにくい状況で、どこまでこのような高級そうなシステムが維持できるのか。浄化槽はどの程度能率よく働くのか。たいへん楽しみだ。

2007年10月3日水曜日

熊野の岩いろいろ

 紀伊半島の南端に近づくにつれて、ゴツゴツとした岩がめだつようになる。鬼ヶ城などという怖い名前のや、花の窟なんて優しい名前のもある。写真の橋杭岩は堅い岩の地層が海に突き出し、そこだけ浸食を免れて列を作った物だ。司馬遼太郎さんは、こういった山からはみ出したような岩々のことを「地の骨」と表現しているが、まさにぴったり。もうひとつの虫喰岩は、名前のように浸食によって穴だらけになった岩だ。こうやって写真にすると、アントニオ・ガウディの建築の一部分のように見えてくる。「街道をゆく 第8巻」に出てくる古座街道の近くにある奇観だ。

2007年9月25日火曜日

自転車道路の実情


愛知県には豊田安城自転車道という比較的しっかりした自転車道がある。これは、明治用水という農業用の水路の上を整備したものだ。国道1号線や鉄道と交差するところでは、掘り割り状に道路がもぐりこんで立体交差になっていて、一般の道路が信号や踏切で渋滞しているのをよそに、快適に走ることができる。ところが、最近走ってみて以前には気づかなかった改悪が行われているのを発見した。この自転車道は、小さな車道とは平面交差になっているのだが、そのすべて(こんな細い道まで、、と思う物もふくめて、まさにすべて)において、「自転車を降りて通行してください。愛知県」という大きな看板が立てられ、道路には「トマレ下車」と書かれているのである。そんなことを実行していたらとても走っていられない。いったいどれほどの税金をこの「施策」のために浪費したのだろう。
問題はそれだけではない。この「自転車道」では、しばしば子供連れの人が散歩を楽しんでいるのを見かける。その横を自転車で走り抜けるのは、こちらも気兼ねだし、先方も少なからぬ恐怖感を覚えているはずだ。車道の状況を考えれば、こういう人がいるのもある程度しかたないかと思っていたが、愛知県のホームページを見ると、なんと「自転車道は、自転車と歩行者のためのものです」と書かれているではないか。歩道を自転車が通れるようにしてやった見返りに、自転車道は歩行者にも解放されたのであろうか。安城市街地など歩行者の多い区間では、ちゃんと歩道も併設されているのだが、歩道は多くの場合草刈りが不十分で快適に歩けない状態にある。運用の不備で、自転車、歩行者のどちらも不愉快な思いをさせらていることが残念だ。
この自転車道を作った時点では、何か強力な働きかけがあって、まさに自転車で高速に移動可能なインフラとして作られたはずの道路が、その後次第次第に朽ち果てて、ついには雑草の巣となってしまう過程を見る思いだ。道路というものは、ネットワークを作ることによって実用性が発揮されるものなので、現状の自転車道では結局役に立たず、使われない→だんだん優先権がなくなるという流れになっているのだろうが、たいへんもったいない話だと思う。

2007年9月19日水曜日

モード学園ビル、その後


名古屋駅前のらせんビルもだいぶ外装ができあがってきた。8月初めに見たときと比べると、高さは変わっていないようだから、もう伸びることはないのか。右下に小さく見えている住友生命ビルは、以前はこのあたりでは高いビルだった。最上階でお茶したこともあったっけ。デザイン博の遺品の「じょうごの逆さまみてゃあなもん」(清水義範:やっとかめ探偵団危うし)も、らせんビルによく似合っている。夕方に名古屋高速の環状線から見た明かりのついたようすも良かった。

2007年9月12日水曜日

なまこ壁


伊豆の松崎といえば、なまこ壁。写真は明治の呉服問屋、伊豆文邸だそうです。折りたたみ自転車で軽く散策してみました。なかなか風情のある町並みです。長八美術館は外から見ただけでしたが、ちょっと建築家が遊びすぎか。松崎という町の名前は、つげ義春の「ねじ式」所収の「長八の宿」という短編漫画で昔々に知りましたが、やっとたどりつきました。

2007年8月29日水曜日

御嶽北部


4月にチャオからスキーで登った継子岳は、木曽御嶽の南北に長い山頂部分の北端に位置する。夏のようすも見てみようとチャオのゴンドラから楽に登るつもりで調べてみたら、今年から夏のゴンドラ営業はしていないらしい。となると、御岳ロープウェイが次の候補だが、もうお盆過ぎともなると朝8時からの営業とのこと。朝の時間がもったいないので、昔ながらの黒沢口六合目駐車場でテント泊して、早朝から登った。図は剣が峰から山頂部を北上して摩利支天岳の肩から北を見たところ。小屋のあるところが「飛騨頂上」で、その左奥のなだらかなピークが継子岳だ。その向こうには乗鞍、穂高。遠く立山・剱まで見えた。このあと継子岳をぐるっと回って、黒沢口八合目にトラバースして戻ったが、かなりキツかった。沢登りに来ていた山gorogoroさんに久しぶりに会えてうれしかった。

2007年8月25日土曜日

イカと泳ぐ


越前海岸でのスノーケリングのひとこま。イカは好奇心と警戒心のバランスがちょうどよくて、一緒に泳いでいて楽しい。警戒しながらも、ほどほどの距離のところにいてくれる。動きも面白い。大きな目の奥にはなかなかの知性がひそんでいるように思われる。日本海は黒潮に洗われる太平洋岸に比べると色彩がたいへん地味だった。黒潮常連のカゴカキダイやソラスズメダイなんかがいないのが、そう感じさせるのか。しかし、あちこちにウミウシがいて楽しい。タツノオトシゴも見かけた。

ノスタルジック2



物置でさがし物をしていたら思わぬ物がでてきた。昔、父にもらったアザラシ皮のシールだ。現代の「シール」はふつう貼り付け式だが、これは「取り付け式」になっていてサイドの2カ所とテール部分をベルトで締めるようになっている。うっすらとした記憶では、その更に前の時代にはネバネバのグリスのようなもの(ピッチ?)で貼り付けていたように思うので、父が改造したのかもしれない。手持ちの板に合うかどうかためしてみたら、184cmのセントエライアスが幅といい長さといいぴったり。長い間手入れをしていないので、皮が相当ゴワゴワなのと、一カ所切れ目が入っているので、何とかメンテナンスしてこの冬はひとつ登り心地を試してみたい。何せ、アザラシのシール(ほんとは変な表現だが)は、登りに強く、滑りも良いという定評があるので。

2007年8月8日水曜日

モード学園の派手なビル


名古屋駅前の笹島交差点北東角にそびえつつあるスパイラルタワーです。最近開業したトヨタのビルは、もうこれ以上シンプルにならないぐらいシンプルな直方体ですが、これはたいへん凝ったラセン構造をしています。この、建築途中の様子が特にいいのかも知れません。ずっと未完成の方が美しいのかも。なぜか「バベルの塔」を連想してしまいました。

2007年8月4日土曜日

あざせぼら

 伊豆半島の「左肩」にあたる大瀬崎を少し土肥方面に上がったところにある喫茶店。去年は大瀬崎まで行ったものの、駐車場も浜もいっぱいだったので、この店にだけ寄って、戸田に転進した。今年は泳いでみたが、圧倒的多数のダイバー軍団に恐れ入った。スターウォーズの帝国の兵士を思い出させる。透明度が低く、浅瀬で遊んだ程度だったが、半島先端のびゃくしん(針葉樹の一種)の林が面白かった。あざせぼらの方は、あいかわらず手作り感あふれるのんびりした店だった。駐車場のところの装飾がかなり増えておもしろい雰囲気になっている。

2007年7月27日金曜日

南の島で


友達に誘われて宮古島に行った。彼はもう10年以上も通っているとか。沖縄の島々の中ではちょっと地味な印象があったが、過度に観光化というかリゾート化されず、田舎感がほどよく残っていて良いところだった。それとやはりポイントはサンゴ礁の海。海岸でもサンゴや魚たちの様子をスノーケリングで気軽に楽しめるが、船に乗って少し離れたヤビシというサンゴ礁に足を伸ばすと、ためいきの出るような透明度の海が広がっていた。また、行ってしまいそうだ。

2007年6月11日月曜日

ノスタルジックな


亡父はスキーをする人で、定年退職するまでは、会社のスキー旅行で年に一回鉢伏山なんかに行っていた(大阪だったので)。でも若いときはもう少し遠くに行っていたようで、この写真のコケシもそのひとつ。物心付いたときから、コケシ入れのガラスケースに入っていて、「あかくら」とはどんなところなのかなぁと、こどもの私は思っていた(その後こんなに良く行くところになろうとは思いませんでしたが)。今気がついたのだが、背景の山がちゃんと赤倉の形になっている。コケシの台座の裏には毛筆で「昭和二十八年二月」と書いてあった。父のスキースタイルはおそらく始めた時からあまり変わってなくて、紐締めの革靴にカンダハービンディングでボーゲン専門だった。今では貴重品のアザラシの毛皮のシール(クライミングスキン)もある。晩年に、菅平と黒姫に二回お供できたのが良い思い出だ。菅平では僕がそそのかして、当時根子岳山頂まで飛んでいたヘリスキーも一緒に体験したが、気流が悪くて一度山頂近くまで行ってから引き返して、二度目でやっと山頂に着いたときには二人とも乗り物酔いでふらふらだった(わるいことをしたな)。肝心のスキーは、酷寒の中を圧雪路を辛うじて降りてきたというぐらいであまり覚えていない。

2007年6月7日木曜日

山小屋の本棚から


先日お世話になった剱御前小屋の本棚で見つけた本。小屋での暇つぶしの第一のチョイスは、岳人やヤマケイのバックナンバーだ。場所が場所だけに臨場感がある。次の計画が浮かぶことも多い。それに飽きると、小説に手が伸びる。しかし、読んでみようという気になる本は少ない。この本は、ニューメキシコのスペイン系のカルチャーがどういうものかを教えてくれる。カトリックの信仰、「魔女」と人からおそれられる祖母との心の交流、生と死、ヤノと呼ばれる平原の四季、などなど。本屋に並んでいてもたぶん通り過ぎてしまうだろうが、ご縁があったのか出だしを読んで気に入り、帰ってからwebで注文して続きを読んだ。今回は新刊でまだ売っていたが、絶版になっていても何とか見つかってしまうところが、現代web文明のありがたいところだ。始めて訪れたアメリカの街が、ニューメキシコ州のアルバカーキだったので、なんだかなつかしさも感じた。
「ウルティマ、ぼくに大地の教えを」ルドルフォ・アナヤ著 金原瑞人訳 草思社刊

2007年6月4日月曜日

乗鞍岳


 この季節の乗鞍岳は、位ヶ原山荘行きのバスでおおぜいのスキーヤーやボーダーが繰り出す。ずいぶん久しぶりで乗ったが、バスを運行しているアルピコさんはたいへん熱心に運営されている。客の人数にあわせて2台、3台と増発してくれるので座って行けるし、車掌さんなどを何人も配置していて、スキーも荷物室に収容してくれるので楽だ。バスも低公害車なので昔みたいに黒煙モクモクなんてこともない。全シーズンを通じたマイカー規制の効果か、沿道の植物もいっそうきれいになっているように思う。そろそろ、規制を一歩進めて国民休暇村の先は一般車立ち入り禁止にしてもいいのではないだろうか。
 さて山のようすだが、滑る場所はふんだんにある。山頂直下のルンゼも写真で見ると岩が多いようだが、快適に滑れる。今回はまず剣が峰まで登ってこのルンゼを一滑りして、肩の小屋あたりまでもどり、コロナ観測所のあたりに登り、富士見岳の南の谷を少し滑ってから、富士見岳の北のコルに登り返し、位ヶ原山荘に滑り込んだ。以前に立山でやったような遊び方だが、3000m級でのインターバルトレーニングなのでたいへんきつい。途中でTMNご一行ともお会いできたのはうれしかった。摩利支天の北のピークが雪が多く、あちこち滑り込むのに良さそうに見えた。まだまだ面白いライン取りが考えられそうだ。
 以前の位ヶ原山荘はバスが発着するところというだけで、印象が薄かったが、最近は若いスタッフで熱心に営業されているようだ。今年からは、3月から営業されているそうで、スキー場トップから雪をかきわけて登り着いた小屋に2食付きで泊めてもらうという、意外に他ではないシチュエーションが楽しめそうだ。是非来年は行ってみたい。

2007年5月22日火曜日

時ならぬ雪


天気予報を信じるならばとてもアウトドアに出かける気にならない週末だったが、とりあえず、ということで富山に向かってひた走る。雨かと思いきや、標高が上がるにつれて白っぽくなってきて、ついに室堂では吹雪となった。温泉三昧の翌朝も、まだ降り続く雪。しかし、空は明るく雲は薄いようだ。じっくり待っていると、その甲斐あってガスが風に飛ばされていく。以前、11月に同じようなパターンがあった。そのときにいい思いをした山崎カールに上がってみることにした。見渡すかぎり、新雪に覆われて真っ白になった山々。白すぎてすぐ目の前の雪面の起伏もわからない。晴れているのにホワイトアウトだ。人はそこそこいるのだが、山に登っている人が少ない。もったいない。時ならぬ新雪で、雪崩が心配になって自重している人もいるのかもしれないが、そもそもアルペンスキーヤーなど山に登る気のない人が多いようだ。積雪チェックをしてみると、20cmほどの(!)新雪の下にアラレの顕著な弱層があったので、ほどほどのところでシールをはがし、新雪の貸し切り山崎カールの滑りを楽しんだ。今年は、標高の高いところでは意外に遅くまで快適なスキーが楽しめそうだ。

2007年5月11日金曜日

GPSあれこれ


GWに立山で取った記録がイマイチ精度がわるい。空の見晴らし、GPSの持ち方ともに問題ないはずなのに、妙に記録精度が低く、明らかに実際にたどった経路からずれた位置にトラックが記録されていることがある。そういうことが起きる時間帯があり、それ以外では非常にきれいに記録されている。ひとつ思いついたことは、最近、パナソニックのオキシライド電池を多用しているのだが、電池交換して30分ぐらいしてから数時間にわたって記録があばれているように思える。このオキシライド電池は初期電圧がほかの電池より高く、電流が流れすぎるそうなので、そのためにGPSが誤動作を起こしているのかもしれない。しばらくForetrexでは通常のアルカリ乾電池を使って様子をみよう。
買い換えるのも手かなと、最近の機種の状況をあらためてwebで眺めてみると、なんとeTrex(何にも他の名前がつかない黄色いeTrex)もトラックの記録ポイント数が10,000に増えているではないか。今までは1,500ぐらいで、ツアーだと1.5日分ぐらいしか記録できなかったので、さりげなく大きな進歩をしていることになる。最近、「そろそろGPSを買おうと思うがどれがいいか?」と聞かれることが多いが、地図内蔵でアンテナ性能の良い(けど高価な)60CSxか、シンプルな(安い)地図なし機種か、なかなかどっちもそれなりに良さがあるので、選択が難しい。ともかく携帯してトラックを記録するところから始めるとして、コンパクトなForetrexかなと思うが、eTrexも画面が見やすいという良さがあるので、まだまだ選択肢のひとつとして現役だなと思う。Gekoも良さそうだが、電池の持ちがわるいのと、写真で見ると薄そうだが、実は結構厚みがあるのでForetrexが出た現在では、やや中途半端な気がする。

2007年5月7日月曜日

剱岳・長治郎谷


天候にめぐまれたGW後半戦は、以前から行ってみたかった剱岳の長治郎谷(ちょうじろうたん)を、コルまで往復した。この谷は、明治時代に三角点設置のためにそれまで未踏と言われていた剱岳に登るのに使われたルートだ。写真の真ん中の白いくぼみがコル、その左側の二つめの白いピークが剱岳山頂だ。当日は気温が高く、滑落のおそれはないが、逆に雪が崩れないか気になった。熊の岩を過ぎたところで、念のため一度つぼ足+アイゼンにしてみたが腰までもぐって歩けず、結局最後までシール登高(+スキーアイゼン)だった。傾斜は急だが、名にし負う剱岳の頂上直下にしては意外におだやかな地形で、左右の岩尾根にアリのようにたかっているクライマーを眺めながら、気持ちよく登れた(向こうから見れば、谷底をはいずっているアリだといわれそうだが)。今年はおなじみの剱沢小屋が破損のため収容人数が少ないので予約できず、剱御前小舎を使ったが、たいへんフレンドリーで良い小屋だった。剱沢小屋の客はスキーヤーかクライマーが多いが、景色の良い稜線上にある剱御前小舎は写真を撮りに来た人や縦走をする人が多く、客層の違いが面白かった。でも、長治郎谷の帰りには余分の標高差300mがちょっとうらめしかった。翌日はタンボ平を滑ったが、東一ノ越へのトラバースラインが高いところについていて、結構な急斜面を滑ることになった。

2007年5月1日火曜日

御嶽の北端


今年のGWは、今のところいい具合に休日に良い天気が割り当てられている。御嶽に登るルートとしては、昔は王滝のおんたけスキー場から田の原を経て登るルート、今は御岳ロープウェイから登るルートが一般的だが、マイアスキー場やチャオスキー場の真上に望まれる御嶽北端の山、継子岳(ままこだけ)に登るルートが試みられている。特にマイアの上のリフトに乗ると、山頂直下のルンゼが何本か間近に見えて、堅くて急だろうなと思いながらも、いつか行ってみたいと思っていた。今回、「ハイグレード山スキー」に紹介されていた、チャオから往復というコースを参考に登ってみた。図は、チャオの上部の右側にあるルンゼをアイゼンで登っているときに撮ったものだ。ここは前述の本では尾根上を登るようになっているが、ルンゼの雪の状態がいいのでこちらにした。全体的に急斜面なのと、北面でまともに季節風を受けるので、難度は気象条件に大きく左右されるだろう。この日は、全国的に高気圧に覆われていたが、冷たくはないものの、相当強い風を背にしながら登った。雪は気持ちよくアイゼンのささる堅さ。ところどころ前日に降った数ミリ径のアラレがころころたまっている。山頂からはマイアもチャオもすぐ下に見える。マイアとチャオのちょうど中間に位置するルンゼを下った。抜群の高度感と、ミスの許されないプレッシャーを感じながらも、コンディションに助けられて気持ちよく滑ることができた。マイアがゲレンデ外に出ることを禁止しているのがネックだが、両スキー場を結ぶツアーなんてのも面白そうだ。

2007年4月22日日曜日

Ansco MemoとAlpha

 二つ並んだ黒いもののうち、右側は1927年にアメリカで発売されたAnsco Memoというカメラ。35ミリフィルムのハーフサイズで、どちらかというと手動で一コマずつ送る映画カメラのようなデザインだ。左は、今はなきコニカミノルタのαSweetDigital。いわゆるAPS-CサイズのCCDを使っているのだが、このサイズはハーフサイズのフィルム面の大きさと近い。従って、これらの2台はほぼ同じサイズの感光面を持っていることになる。左は28ミリレンズがつけてあり、右のもだいたい30ミリぐらいの焦点距離のレンズがついているようで、これらの2台で撮影すると、よく似た画面になる。単なる偶然といえばそれまでだが、およそ80年の時間を隔てた2台の画像キャプチャ装置が、ここに出会って同じような絵を出力している様子が何となく微笑ましい。
はまぐりとほたては鍋でめぐりあい (三笑亭可楽の落語のまくらより)


左:Ansco Memoで撮影。
右:αSweetDigitalで撮影。



カメラの雰囲気が気に入ったので、eBayで取説を探した。これがまた、いい感じ。

2007年4月16日月曜日

静かな上高地


ちょっと時間と天気が中途半端だったので、もう雪の消えた上高地を散歩してみた。釜トンネル入り口からのトンネル歩きがスタートだ。一般車は通れないがときどき関係者の車が通り過ぎる中を延々と歩く。昔の岩壁がゴツゴツした真っ暗なトンネルほどではないが、ところどころに薄暗い照明のともった人気のないトンネルを歩くのはあまり気味のいいものではない。やっとの思いで外に出ても曇りがちで寒い。しかし、しだいしだいに晴れ間が多くなり、白い頂上も見え始めてくると気分も変わる。大正池、帝国ホテルと経て、1時間半ほどで到着した河童橋からは、図のような立体感ある焼岳や雪崩の跡だらけの岳沢の迫力ある姿が眺められる。本当に静かだ。いつもはバスやタクシーに乗って、ときどきすれ違いのために待たされたりしながら、あまり感慨もなく通り過ぎるところだが、思いがけず、楽しく歩くことができた。

2007年4月13日金曜日

芝浦の焼肉屋


品川といえば新幹線の駅もできて高いビルがニョキニョキとそびえておりますが、駅の東側は食肉市場があったりします。そういえば昔、実験材料の豚の脳を買いに行ったことがありました。そんな関係でこのあたりには焼き肉屋が多いのですが、その一軒に連れて行ってもらいました。ハラミ、ホルモンなど堪能いたしました。時の流れに取り残されたような、、というと何かさびしいですが、昔のこのあたりの風情を思わせるような店構えでした。隣にあるのは川かと思いましたが、今地図で見ると、もうほとんど海なのか。

2007年4月9日月曜日

乗鞍散策


スキーアイゼンの取り付け部分をブンリンで修理してもらった。ついでに乗鞍高原をスキーで散策。もうスキー場は営業していないので、静かな高原を楽しめる。休暇村から東大ヒュッテ経由でゲレンデトップへ。このあたりのおだやかな樹林帯はツアー初心者にも安心して楽しめるところだ。乗鞍の一番上のかもしかゲレンデはもう林道の除雪が進んでいて分断されている。朝はたいへん良い天気だったが、このところの週末の天気のパターンで、だんだん曇ってきて、ついには雪もちらつきだした。休暇村の温泉は、謝恩サービスとかで4月27日まで100円。お得です。

2007年4月5日木曜日

孤独のグルメ


開田のロッヂの本棚で発見したご本。何ともおもしろい。原作の久住氏の細かいことにクドクド拘泥する様子と、谷口ジローの絵がなんかミスマッチのような、マッチしているような。出先でひとりでメシを食うときに、この店もイマイチ、あの店も入りにくいと、ウロウロしてしまう人は身につまされます。文庫本は現行商品だが、谷口氏の絵を大きな本で見たくて、つい高い中古をamazonのユーズドで買ってしまった。同じコンビの「散歩もの」はシミジミしていて、これもまた秀作。
久住昌之 原作 谷口ジロー 作画 扶桑社

氷の御嶽


4月はじめの木曽の御嶽さん。地元の古老の話によると、今年は雪はすくないが温度が低いためにカリカリとのこと。ちょうど、スキーアイゼン(SK'ALP製)を入手したので、これを使って行けるところまで、という気持ちで登りだした。朝のうちは気持ちよく晴れていたが、みるみる暗雲が押し寄せてきた。前日もゲレンデで大雨に降られたので、山頂にガスがかかったら撤退だなと思う。怪しげな雲が次々と去来するが、意外に天気はもってくれた。しかし、情報通り雪面は堅い。が、さすがにスキーアイゼン。快適に登れる。ついつい主稜線直下までそのまま登ってしまうが、北風に吹きさらされている主稜線は、完全に氷の固まりと化していて、スキーアイゼンでは全く歯が立たない。やはり切り替え時を見極めるのが使い方の基本だと思い知る。このSK'ALPのスキーアイゼンは、スキー板に直接取り付けるタイプだが、歯が雪面に食い込まない状態で使うと、体重がスキーアイゼンの取り付け金具にすべてかかってしまう。全体重+蹴り込みの力が3本のビスにかかるのだから、やはり無理で、片方がはずれてしまった。ちょっと考えれば当たり前のことだが、やってみないとわからなかった。お恥ずかしい。テレマークでのスキーアイゼンは昔からなかなか決定版がないのだが、そもそもスキーアイゼンが必要な領域と、テレマークとが矛盾するようにも思う。現在では、G3 Ascentのものがメカ的には最良のように思うが、重いのが気になる。SK'ALPのを太いビスで付けなおして、しばらく試行錯誤してみよう。(後日、ブンリンで埋め込みビスを使って修理してもらった。板が軽量の8611Summitなので構造的に弱いせいもありそうだ。)

2007年3月27日火曜日

テレフェス2007


峰の原テレマークスキーフェスティバル(通称テレフェス)が今年も開催された。テレマークスキーレースが日本で最初に催された峰の原で、TAJ公認レースがなくなることになり、何かこれに変わるイベントをということで、地元でスキースクールTMN Ski Skoleを立ち上げたばかりの望月さんが頑張って始めたイベントだ。私も最初から関わっているが、今回でもう9回目と聞いて驚いた。最初の頃はノルウェーからエクストリームテレマーカーのフローデをよんで、ジャンプなどをデモンストレーションしてもらったり結構派手だったが、このごろはTMNを中心とした人たちの親睦の場という感じだ。土曜日の目玉は、一昨年からはじまったテレマークオリエンテーリング。ゲレンデのあちこちにある10個のチェックポイントを地図を見ながら探し、そこに書かれた問題に解答するというもので、ゴールまでのタイムを競う。一問間違えると2分が加算されるのだが、問題は「ノルウェーの王様はハラール何世?」とか「四阿山の標高は何m?」とか、かなりマニアックだ。オリエンテーリングと同じで、どういう順番にポイントを回るかは自由で、リフトも使っていいが、リフトに乗るとかなりタイムロスになるらしく、上位入賞者はリフト乗車回数が少なかった。日曜の根子岳ツアーはあいにくの雨でキャンセルとなった。主催の望月氏は、「いつまで続けようかなぁ」などといいながら、2月頃になると「今年もやることにしたのでよろしく〜」とメールをよこすのである。

ミッドランドスクエア


先日開業した名古屋駅前のミッドランドスクエアビルに行ってみた。高いところが好きなのだ。写真は展望台で、特徴的なのは屋根がないオープンエア展望台であること。行った日は結構風が強く寒い日で、あまりのんびりしていられない感じだった。真冬や真夏はかなり覚悟がいりそうだ。このビルは外見は地味で面白みがないが、周りを眺めるには良いビルであることがわかった。映画館も値段が高いせいか空いていて快適だった。ずらりとならんだブランドショップについては、コメントなし。

2007年2月14日水曜日

上越(高田)散策


スキーの合間に、上越市(昔の高田)を少し散歩した。写真はJR高田駅だが、駅前の楕円形のロータリーを取り巻くように、「ガンギ」風の軒の深いアーケードがつくられ、駅舎は妙にデフォルメされた建物になっていた。アニメ映画にでも出てきそうな、落ち着かない感じだ。楕円形のガンギアーケードが大きなマンションらしい建物の前で途切れているのが残念。建築基準などの事情があったのだろうか。「この下に高田あり」と言われた豪雪の街も、ご覧のようにひとかけらの雪もない。日本にスキーを伝えたオーストリアのレルヒ少佐を記念したレルヒ祭りの当日だったが、イベントの内容もずいぶん変更を余儀なくされたらしい。本町通りを散策したが、駅から離れた本町2丁目、1丁目あたりに来ると昔ながらの街並みが残っている。雪下ろしのために屋根にあがるためのハシゴが作りつけになっているのが特徴的だが、今年はあまり使い途がなさそう。

2007年2月7日水曜日

吉澤一郎さんのこと


先日、十石山行きの際にお世話になった乗鞍のパン工房ル・コパンの社長さんと少しお話をする機会があった。以前にこのブログにも書いた、ヤマケイ創刊号の書評で紹介された本の著者、吉澤一郎さんは、社長さんと親しく、ル・コパンにもしばしば滞在されていたとのこと。90過ぎてもお元気で、ヘリコプターで十石山にお連れしたこともあったとか。狭い山の世界とはいえ、ちょっと不思議なご縁だと思った。

2007年2月6日火曜日

オフピステの日々


栂池と十石山を訪れた。栂池は古い仲間14名が集まり楽しい日々を過ごした。いつまでたっても11月の立山のように、山々の彫りが深い(積雪が薄い)のは困ったものだ。おもしろかったことその1:Black Diamond製のジュラルミンのショベルの鑑定を行った。持ち寄った中にずいぶんいろいろのバリエーションがあり、比較すると面白い。私のは実はひとつ前のブランド名であるChouinardという名前が付いている(ちょっと自慢)。その後、取っ手がペイントされたり、ブレードまでペイントされたり、紐の穴の位置が変わったり結構変化している。リベットの頭がほとんどつぶされていない個体も発見された。これはちょうど昼休みで中断してそのままになったのだろうと推論す。今はもう売っていないが、軽量であり、ピッケルを取っ手にもできる利点もある。その2:山で自分で作ったスキーで滑っているイタリア人Davideに会った。物理学者で会議に来ているらしい。中央が膨れた形状だが、キビキビとクラストした斜面を滑っていた。今回は小学1年生のブンちゃんも参加。雪の降る中を山に向かうにしては、驚くべきマイペースで、休憩ごとにエンゼルパイを召し上がっておられました。末が楽しみです。

十石山は、栂池の仲間のうち5名が再集合。私には初めての日帰り登頂だった。風は冷たいがすばらしい晴天で、周囲の山々が細かく観察できた。四ツ岳が格好良くそびえている。焼岳もいい形だ。登りでは、4人組の若手テレマーカーにほとんど先行ラッセルしてもらった。ありがとうございます。低温のおかげで、日が当たってもあまり雪がクラストせず、下の方までパウダーが楽しめた。

2007年1月22日月曜日

御嶽周辺の穏やかな日々とSuper Stinx


木曽の御嶽に近いロッジ上天気に泊まって、テレマークの古い仲間でゲレンデスキーを楽しんだ。チャオにせよ、マイアにせよたいていは寒いところなのだが、今回は至って穏やかな天候。今回は新調のK2 Super Stinxを試した。同じ名前は昔から使われているが、グラフィックのせいか、今まであまり良いイメージがなかったが、先日店で改めてじっくり見たら軽くてゲレンデに良さそうなディメンションであることが分かった。グラフィックもシンプルで気に入ったので購入した。予想通り、ハードパックスノーで非常に安定感のあるカービングができる。World Pisteが乗用車なら、Super Stinxはオートバイか。操縦の仕方によってパーフォーマンスに差が出て来そうだ。Summitでゲレンデを滑ると、少し頼りないが、そこを補ってくれつつ、重さはあまり変わらず軽いままという不思議な板である。しかし、こういう板の違いが味わえるようになったのは、ゲレンデをもっぱらパラレルのカービングターンで滑るようになってからだ。テレマークターンをしていると、自分の足前では微妙な違いはちっともわからない、というのが正直なところ。

2007年1月16日火曜日

「帝都東京・隠された地下網の秘密[1] [2]」


だいぶ前に単行本で出て話題になった本が、新潮文庫になっていたので買ってみた。11月に読んだ赤煉瓦駅の本が表の顔なら、これは東京の交通網の裏の顔をあつかった本だ。全体に記述があいまいで話も前後し、なかなか要領を得ない。これは、どうも、書きたいことをはっきり書けず、わざとぼかしているのかも知れないと思って、ともかく全体像をつかもうと、ざーっと斜め読みすると、ところどころにひっかかるところがあり、何となく全体像が浮かんでくる。しかし、後半になると、これはほとんど統合失調症の妄想の記録なのではないかという疑念がわいてくる。映画「陰謀のセオリー」や「ビューティフル・マインド」が思い出される。でも東京の地下なら何かあっても不思議はないような気もする。この本にもあったが、「営団」というもの自体、戦時下の挙国一致体制の一環として鉄道会社を糾合して作ったものなのに、戦後、他の営団が解体される中、なぜか帝都高速度交通営団だけが温存されているのも不思議だ。なにしろ今時「帝都」を名乗っているのも、初めて東京に行ったときに大変びっくりしたのを覚えている。何か綿々と伝わるものがありそうだ。冒頭で筆者がこだわっている国会議事堂前駅の地図表現だが、手元のMac版ProAtlasXの2.5万分の1図にも不思議な表現が見つかった。うーん、何かアヤシイ。
秋庭 俊 著 新潮文庫

2007年1月15日月曜日

輪行してみました


テレマーク関係は年末年始と何度かゲレンデスキーを積み重ねてだいたい思うようなスキーができるようになりました。どうも今年は温暖化の影響というのか、雪のふる地域に偏りがある傾向があるようです。常日頃豪雪の妙高あたりより、御岳周辺の方がたくさん降っているのではないでしょうか。
さて、ちょっとスキーはさておいて、頼んでおいた小径折りたたみ自転車が年末に入荷したのでこのところちょっと自転車方面にも気持ちが動いています。せっかくフォールディングバイクが手に入ったので、今日は電車での輪行をしてみました。このところ冬型気圧配置が続くせいで北風が強いので、風に吹かれるままに走り続けて、最後は電車で帰って来るという、イージーなプランです。豊橋あたりに行こうかと東海道を走って行きましたが、正月でもあるので途中の追分を左にとって、豊川稲荷に参詣してきました。岡崎からは30kmぐらい。(GPSで記録を取ったのですが、帰ってからコンピュータで操作するうちに消えてしまいました。残念。)この季節、豊川稲荷は多くの参詣者でにぎわい、歩道は人であふれてノロノロ歩きになるし、車は人にはばまれてやはりノロノロなのですが、車道の端を走る自転車が一番能率の良い乗り物であることがわかりました。帰りは名鉄の豊川稲荷駅前で折りたたんで、窓口で自転車ありますというと手回り品切符270円を売ってくれましたが、あとで調べると1999年にJRが自転車を無料にして、名鉄も無料になっているとのことでした。ま、今回は記念として。社会のインフラをうまく利用した便利なやり方だなぁと思います。