2010年10月14日木曜日

RING, RING, RING

 NEX-5のマウントアダプター遊びもいろいろ試しているが、是非欲しいと思っていたのがコニカ製一眼レフのレンズを付けるアダプターだった。柔らかみのある描写で定評のあるHexanon 40mm F1.8を使ってみたいのもあるが、コニカマウントにもう一段アダプターをかませると、たくさん持っているエギザクタマウントやM42マウントのレンズが使えるからだ。(コニカ製一眼レフはフランジバックが短いので、アダプタ経由で他社製レンズが使えたため、コニカ自身が純正マウントアダプタを発売し、他社製レンズが使えることをセールスポイントにしていた。わたしもコニカ製のエギザクタマウントおよびM42マウント用アダプタを既に持っていて(図の右)フィルム時代にアダプタあそびをしていたという背景事情がある。)web上でいろいろ検索してもなかなかそういう製品に出くわさなかったのだが、ふと立ち寄ったレモン社のアダプターコーナー(ひとつのショーケースがまるまるアダプターになっているぐらい最近は流行している)のど真ん中に鎮座しているのを発見した。「外国製、委託品」というアヤシゲな触れ込みだがしっかりした作りに見える。こういう出会いはうれしいものだ。早速買って帰って、とっかえひっかえいろんなレンズを付けては試写して、ひととおり使えることがわかった。今、写真に撮ってみると、マウント面は既にこすれた跡が見えているので、やはり仕上げはやや?だが遊びには十分だろう。実際どれぐらい使うかは分からないが、手持ちの何本ものレンズが一気にデジタルの世界に組み込めたのが、なんとも愉快。

2010年9月7日火曜日

たまにはボランティア

 春に澄川・容雅山スキーツアーで築田さんグループや高谷池ヒュッテにお世話になったので、お礼奉公に道直しボランティアに参加してきた。夏の火打山や高谷池ヒュッテはずいぶん久しぶりだった。百年に一度の猛暑で高気圧が居座り、このところずっと天気は良い。雨具を使ったことがない。笹ヶ峰で登る準備をしていると、小屋の手伝いに上がるポンちゃんが現れ、久しぶりに一緒に歩いた。この季節に、朝半袖でいられるのがおかしい、とはポンちゃんの言。汗をたっぷりかきながら十二曲がりを登って小屋にたどり着けば、Y山さんが取ってきてくれた雪で冷えたビールが待っていた。最高!その日は、火打山方面の登山道脇のヤブを切ったり、小屋周りの植生復元用のタネを集めたりしてから宴会に突入。
 翌朝は、まず木道の敷き直し工事。以前はトイレに行くのに、一度外に出なければならなかったが、最近の工事で屋根付きの渡り廊下でも行けるようになった。すごい進歩だ。ヒュッテの入り口付近からトイレに向かう木道は、歴史的経緯からカーブしていたところを(上)、今回まっすぐに敷き直した(下)。木というのはなかなか良い材料で、そこそこ軽く加工性が良いのに耐久性があることを再認識。また、寒冷地なので土に埋まっていた以前の木道や枕木を掘り起こしてみてもほとんど腐っていないのが面白い。この工事で、緊急にトイレに駆け込むときにもコースアウトの危険性が顕著に低下したと、小屋番M宮氏の評価。

 もう一つの作業は、トイレ周りの工事で裸地化した場所に、昨日集めたタネをまいて、コモで覆う軽作業。うまくいけば小屋周りに高山植物のお花畑ができて植生が復元する、はず。近所のホームセンターで買ったコモを昨日ザックにくくりつけて持ち上げたが、藁の束だからそんなに重くはないのだが、だんだん持ち重りがした。2時間ほどで作業が終わったので、昨日行けなかった火打山頂に空荷で散歩。出発したときは快晴だったが、山頂に着く頃には稜線はガスにおおわれていた(このところずっとこんな天気)。山頂から北は晴れていて日本海まで見渡せたのは良かった。
 今回は、NEX-5にJupiter-3という50mm f1.5のロシアレンズを装着。M宮くんがよろこんでくれた。彼もふくめて高谷池関係者はカメラ好きが多い。それもきっちりデジタル一眼で作品を撮ろうという本格派だ。左はモノクロモードで撮ったヒュッテのキッチン。こういうのを撮って、金物の光り方がシヴイなぞとブツブツ言っているようでは、まじめな作品は撮れない。この75mm相当のレンズと、28mmのGRdigitalはなかなか良いコンビネーションだったな。

2010年8月31日火曜日

温泉と岩尾根

 スキーで横を通り過ぎたことはあったがまだ泊まったことのない白馬鑓温泉小屋が第一の目的地。猿倉から小日向のコルに向かう道は、雪の季節には見通しがよく地形がよく分かるのだが、夏山は全然見通しがきかないなと改めて思った。コルからは遙かに小屋が見えるが、延々と斜面をトラバースしていくので結構時間がかかる。杓子沢を横切るところはかなり急斜面。温泉沢の横を登りだすとお花畑がまだまだ盛りの姿を見せてくれる。クルマユリが見事だった。温泉はちょっと熱いが開放感満点。小屋も夏以外は片付けてしまうバラックだがそれゆえにさっぱりとした感じで気持ちいい。小屋の本棚で鉄腕バーディーYS版1-5巻を見つけて楽しく読む。小屋のすぐ裏に源泉があり、岩の隙間から滔々と湯が湧き出しているようすがよくわかる(動画)。
 翌朝も良い天気だったが、稜線に登り着く前にガスが湧いてくる。おかげであまり暑くない。今日のハイライトは天狗の大下りと不帰の険。写真は不帰二峰から振り返ったところだ。真ん中の小ピークが不帰一峰で奥が天狗の大下り。二峰の登りは遠目にはすごいが、近づいてみるとうまい具合に巻道になっている。時々しか人と会わない稜線を辿って唐松岳に着くと、人がウジャウジャ。唐松小屋泊まりの予定だったがまだ昼過ぎなので五竜山荘まで足をのばすことにした。結局布団一枚に二人弱だったので混み具合はどちらの小屋も一緒だったかもしれない。

 人いきれで暑く、夜中に外に出てみるときれいな月夜だった。朝も快晴は続き、五竜山頂はすばらしい眺め。唐松はここより低いので来た甲斐があった。春に遊んだ立山・剱がすぐそこ。立山はカールが並んでちょっと薬師っぽい。三の窓のまっすぐな谷がきれい。右の方には苦労して登った大窓も見える。

 振り返ると安曇野の雲海の向こうに、来週行く予定の火打や焼山が浮かんでいる。今回はNEX-5にColor-Skopar 28mm f3.5を付けて来たが、光の具合によって両サイドが赤っぽく着色する現象が見られたのがちょっと残念。液晶画面とシャッター音はいいんだけど。帰りは遠見尾根をおりる。じっくり降りるつもりだったが、団体を追い抜くとそのはずみでつい駆け下ってしまう。中遠見の登り返しがきつかった。アルプス平あたりではパラグライダーが沢山飛んでいる。猿倉までタクシー約5000円也。(9/7掲載)

2010年8月25日水曜日

トランス御嶽 =行って帰って=

 週末一泊二日でちょっと手応えのある山歩きがしたいといろいろ考えたが、北アルプスでは二泊しないと中途半端。御嶽で、スキーを使って登ったのと反対側に降りて、できれば次の日に引き返してくるというプランを前から考えていたので、夏山で予行演習をしてみることにした。登山口は、車で標高を稼げる王滝口の田の原とし、剣が峰を経由して濁河温泉へ。登り標高差800m、下り1200mだからそれほどではない。行った道を戻ってくるというところに、何かむなしさを感じないかなと少し心配だったが、手応え充分。溶岩の王滝口と、樹林の濁河口の対比も面白く、御嶽山が立体的に感じられるようになった。
 王滝口は、以前はスキーでの御嶽登山のメインルートで、スキー場トップから田の原に滑り込んで、よく登ったものだが、このところは黒沢口のロープウェイからがメイン。また、田の原からの夏山登山は考えてみると今回が初めてだった。好天に恵まれてずっと背中に日差しをあびながら、動き慣れない体で大汗をかきながら登った。剣が峰が過ぎると人は激減。ひょっとしてロープウェイがやっていないのかと双眼鏡でチェックしたが、ちゃんと動いているものの駐車場はガラガラ。車のままあがれる王滝口が、やはり圧倒的に人気なのだ。賽の河原、摩利支天と経て、五の池小屋に到着。この朝、NHKのテレビ生中継をここからしたそうで、小屋番さんは肩の荷をおろした感じで昼ビールを楽しんでいた。
 まだ昼前だったが濁河温泉に向けて降り始める。立ち止まっている人がいるので聞いてみると、オコジョがいるらしい。溶岩の隙間を素早く出たり入ったり。好奇心とこわいのの葛藤的動作(動画)。ずいぶん細長い。長い長い樹林の中の道を、次の日に影響が残らないようにゆっくりと下った。濁河温泉はもちろん車でも行けるが、山から下りてくるのが一番雰囲気があると思った。車が無くてただひたすらのんびりと湯治するしかない午後というのは、たいへんぜいたくで良かった。宿は去年と同じ、濁河温泉ロッジ。今回は高校陸上部の合宿中だった。
 翌朝は6時に登り始め。昨日の登りと対照的に静かで涼しい。五の池小屋にまた立ち寄ってコーヒーをもらう。いつもきれいに片付いた小屋だ。今は増築工事中。今度は開田道から登って一泊したい。摩利支天はパスして、そのかわり一の池を回ることにする。一の池の茫々とした眺めや、継母岳方面の美しいスロープ、地獄谷のすごさなど、いろいろ味わい深いコースだ。剣が峰からは20倍ぐらいに増えた登山者をかき分けて降りる。田の原には観光バスがたくさん来ていた。jotenkiさん推薦の王滝食堂で、ノンアルコールビールとイノブタ焼肉定食。脂身がうまい。
 写真はまとめてこちら
(追記:2010-11スキーシーズンは、御岳ロープウェイスキー場営業せずとのこと。日当たりと風当たりのバランスのせいか、妙に硬いバーンの多いスキー場なので、BCのアプローチにしか使わなかったが残念。おんたけ2240がリバイバルか。)

2010年8月13日金曜日

NEX-5でよみがえるold lenses

 レンズ交換式カメラにおいては、レンズを取り付ける面とフィルム面(デジタルではCCD等の受光素子)との距離をフランジバックといい、カメラの形式によって様々な値になっている。歴史の古いライカなどの連動距離計カメラでは、フランジバックが短いのに対して、一眼レフでは、反射鏡が動くスペースが必要なため、フランジバックを長くしなければならず、レンズの方でいろいろ無理をして長いフランジバックを実現している。連動距離計カメラの方が、写りがいいと言われる理由の一つは、このような無理をしない素直な設計のレンズが使えるということがある。フランジバックの長いレンズを、フランジバックの短いボディーに付けるのは、ゲタをはかせてやればいいので簡単だが、逆はできない。このため、ライカなど連動距離計カメラのレンズが結ぶ像を、一眼レフで実際にファインダーで見ながら撮影することは、長い間叶わぬ夢だった。
 昨今、ミラーレス一眼と言われるデジタルカメラが登場し、ミラーを使わずに直接CCDで像を観察しながら撮影するため、フランジバックを短くすることができ、実際ライカマウントよりもフランジバックが短いので、上記の夢が叶うことになった。しかし、先発のオリンパス、パナソニックが採用するmicro-4/3規格ではCCDが小さいので、35mmフィルムに比べて真ん中の半分ぐらいしか撮影できず、50mmレンズをつけても100mmレンズ相当の範囲しか写らないというので、イマイチであった。最近、SONYが作ったNEXシリーズでは、もう少しCCDが大きいので50mmレンズで75mmレンズ相当と、まだ許せる撮影範囲となった。ボディーもコンパクトで、小振りな連動距離計カメラのレンズが良く似合う。どれぐらい実際に使うかはやや疑問ながら、買ってみることにした。
 上は、コシナ製28mm F3.5レンズ(Color-Skopar)、左はロシア製50mm F1.5レンズ(Jupiter-3)を、三晃精機製のアダプタを介して付けたところだが、なかなか良く似合う。アダプタを介してオールドレンズを付けるなどというのは、普通メーカーの想定範囲外なので操作性がわるいことが多いのだが、NEXには、ミノルタからソニーに引き継がれたαシステムのレンズもアダプタ経由で付けることができ、この場合もオールドレンズと同様に手動での焦点合わせになるため、このような使い方に対する操作性がよく練られていて大変快適なのがうれしい。ボタン一つで画面が拡大表示されてフォーカシングでき、シャッター半押しで全体像が表示され構図を調整してシャッターを押しきるという操作の流れがスムーズだ。(フォーカシングは絞り開放の方がしやすく、実際の露出時には撮影意図によっていろいろな程度に絞り込むのが普通で、一眼レフではこれが自動的に動作するようになっている。オールドレンズを使うときにはこれも手動で操作しなければならないが、F4ぐらいまでなら絞った状態でもフォーカシングできるのでそれほど不便ではない。)
 これは、ロシア製の28mm F6(!)という暗いレンズ(Orion-15)だが、これぐらいになるとピントの合う範囲が広いので目測で距離目盛りを合わせれば充分だ。このレンズ、ビー玉をはめ込んだようなちっぽけなレンズで、見かけはパッとしないが、トポゴンタイプといわれる原理的に優秀な設計形式が幸いしてか、意外にいい写りをする(作例)。フィルムではF値の暗さのためにちょっと使いにくいのだが、デジタルではISO感度が融通無碍に変わってくれるので、何も不便はない。使っていて気がついたのだが、シャッター音がなかなかいい。従来の一眼レフのようにフォーカルプレーンシャッターなのだが、通常は開放していて、シャッターボタンを押すと一旦閉じてから短時間開いて露出し、また開放という動作をする。この複雑な動作がちょっと高級感のある(何か複雑なことをしていると思わせる)作動音につながっているのだろう。今後、エギザクタマウントレンズ用などレアなマウントアダプタも発売されるようで、しばらくは色々楽しめそうだ。

2010年8月10日火曜日

船窪小屋から烏帽子小屋

 昨年秋にブナ立尾根経由で烏帽子岳に登り裏銀座縦走をして、高瀬川流域の山々になじみができた。少し北に稜線をたどったところにある船窪小屋が、ランプの山小屋、食事のおいしい小屋、良い雰囲気の小屋等々として有名らしいので、昨年泊まった烏帽子小屋と2泊3日で縦走してみた。この辺りは、麓と稜線との間は1400mほどの標高差があるので、行きも帰りもそれぞれハードなだけでなく、稜線の縦走も結構なアップダウンがあってかなり体力が必要とされる。今年は富士山スキーの後、海に行くようになって山歩きを全然していなかったのを、途中で思い知らされることになった。七倉から船窪小屋に登る七倉尾根は、おとなりのブナ立尾根よりハードな印象。ブナ立尾根がハシゴ、桟道などできれいに整備されており、均一な傾斜で登っていけるのに対して、七倉尾根は胸突八丁ならぬ鼻突八丁と言われるぐらい超急斜面がときどき出てきて、息があがる。写真のようにかなりの部分がシャクナゲに覆われていて、花の季節はさぞ美しいのだろう。
 ずーっと花の無い登山道だったが、小屋近くになってお花畑が現れる。雪田の雪の残り方に差があるためか、場所によって季節の進み方にずいぶん差があるのが面白い。チングルマは、白い花が咲いているか、ぼうぼうと種子の毛が伸びた状態か、どちらかを見ることが多いが、写真のように、そのちょうど間の状態が見られるお花畑があった。おしべの付け根辺りから毛が伸び出している。今まであまり見たことがないような気がする。
 たどり着いた船窪小屋は、稜線の真上にがっちりと建てられている。稜線はほぼ南北で、東には大町が見え、西には明日通過する船窪岳から不動岳への稜線、その向こうに立山から五色平を経て薬師に向かう稜線が眺められる。眺めの良い小屋だ。まずお茶を一杯頂いてから寝床を確保。お盆休み前の週末だが、金曜なのでまだゆったりしているようだ。野菜炒めと目玉焼きが入ったインスタントラーメンを作ってもらい、ビールで乾杯。やや天気が不安定なのでまずは小屋で休憩。ときおりザーッと降る雨音を聞きながらの昼寝が終わると、辺りの眺めも回復したようす。
 今日は、週末に備えてヘリの荷揚げがあるそうで、おいしいものが上がってくるぞという期待を込めて、泊まり客総出でヘリを出迎える。下界は晴れているが稜線には雲が去来して視界はやや不安定。ヘリは何度か行き来していたが、最後に七倉尾根沿いに上がってきてヘリポートに荷物を置いてさーっと引き上げていった(動画)。その後、もう一回荷揚げのために近くまでヘリが上がってきたのだが、稜線がガスに覆われてやむなく中断。野菜やらビールやらの荷揚げ品を皆で運んで倉庫に収めた。夕食は期待通りていねいに作られたもので、昨今の山小屋はどこもなかなか健闘しているが、さらにその上を行く素材も調理法も吟味された食事だった。今年から入った(とは思えないほどてきぱきと仕事をされている)小屋番のhikaruさんがメニューの説明をしてくれる。食後も、滞在中のネパールの方が入れてくれたネパール茶+上がってきたばかりのトウモロコシを頂きながら、DVDで小屋のあれこれや針ノ木古道(サラサラ越え)の歴史を勉強。
 翌朝、出がけに水を頒けてもらうが、ここの水は30分ほどおりたところの水場からボランティアの人力で汲んでくるとのこと。それなら、昨日は早く着いたので一度ぐらい汲んでくれば良かったな。多くの同好の人たちの働きで支えられている小屋のようだ。不動岳までの稜線は、左手にずっと荒れた不動沢源頭を眺めながら行く。ここは遠くからでも白いガケとして目立つ稜線だ。またここから流れ出す膨大な量の土砂が高瀬ダムのダム湖に流れ込み、ダムの寿命を縮めている。前回来たときは大型トラックのコンボイがそれを運び出す様子を見たが、何ともむなしい努力に思われた。写真は船窪岳直後の稜線。こんなところが何度も出てきて、道を維持する大変さを思う。
 道は大変だが、花々はきれいだった。写真はイブキジャコウソウ。ずっと曇りがちで眺望はぱっとしないが、ガスで細かな水滴が花について美しさをましている。不動岳まで上がると樹林を抜けて岩稜歩きとなる。ここで10時ちょっと前。ちょっとハイペースで歩きすぎたか、膝が痛くなってくる。南沢岳への稜線は、あまり切れ落ちた箇所はないが、くずれやすい土の斜面が多く、また一苦労させられた。やっと頂上かと思ったら、まだ上がある。秘蔵のジェルを飲んでようやく南沢岳に到着。ここは昨年烏帽子小屋から往復したので見覚えがある。ここまでの行程は、小屋から300m下って船窪乗越、100m登って船窪岳、100m下って250m登って船窪第2ピーク、250m下って400m登って不動岳、200m下って200m登って南沢岳、という感じ。疲れるはずだ。
 よれよれになった足をなんとか運んで烏帽子に向かう。南沢岳から烏帽子岳にかけて、白い砂地のところには薄緑の斑点状にコマクサが沢山生えていて、ちょうど今盛りの様子。こんなにコマクサが群生しているのは他にはなかなかないように思う。ガスが去来する四十八池を過ぎて、烏帽子岳はパスして、前烏帽子の思ったより長い登りを過ぎて、やっと烏帽子小屋到着。カップラーメン+ビールで昼寝は昨日と同じ。この日も夕方になると晴れたので、ヘリポートで三ツ岳や、高瀬川の向こうの燕岳、餓鬼岳を眺めながら同宿の人たちと山談義。野口五郎のテント場が無くなったので、テントの人は三俣蓮華まで行かないとテント場がない、行けるかなと聞く人があり、軽い軽いという声もあり、結構キツイでしょうという意見もあり。明日の水晶小屋は定員の倍の予約が入っているとか。
 翌朝、烏帽子岳に登るが、あと少しのところでガスに囲まれあまり眺め無し。前烏帽子のあたりから昨日の稜線や船窪小屋が眺められたのは良かった。烏帽子小屋に戻りホットミルクで一休み。靴を脱ぐのが面倒だったので小屋の前のトイレに入ったが掃除が行き届いていて快適だった。小屋の前の掃除、箒目まで付けてマニアック。昨日の今日でブナ立尾根の下りが思いやられたが、整備された道のありがたさで、一歩ずつの高低差を減らしてゆっくり降りて何とかこなすことができた。下の方ではアサギマダラが優雅に飛んでいる。高瀬ダムの上で、待ち構えていたタクシーに乗って七倉に戻り、七倉山荘の地味な温泉でたまった汗をながした。

2010年6月16日水曜日

富士山吉田大沢を堪能

 先週、山中湖や河口湖から見上げた吉田大沢が、あまりにも美しい真っ白な滑り台だったのに惹かれてまた富士山を目指した。今回は初めての吉田口。富士スバルラインを使ってのアプローチだ。無料化された富士宮口と違って往復2000円が要るが、よく整備されて走りやすい。朝6時に5合目駐車場に到着してみると、Mさんほかブログ有名人ぞくぞく集結の様子。6合目を過ぎたあたりで速い人たちにはあらかた抜かれてマイペースとなる。7合目手前で登山道脇に雪が出てくると即シール登高に切り替え。板をかつぐと背中が重いし、バランスがとりにくいので苦手だ。ちょっと上に岩の崖が見えていて、そこまで登るとまた上が見えるのだろうなと思って登っていったが、全然近づかない。結局それは山頂直下の崖だった。遠近感全くなし。2,3日前の新雪に覆われた大沢をシール+スキーアイゼンでジグザグと登り切ることが出来た。
 登り着いたコルからは、先週も見た剣が峰とお釜の景色。妙になつかしい。新雪のおかげで先週よりきれいだ。双眼鏡で剣が峰方面を偵察したら、itokisyaさんらしい赤い板を背負った人あり。金明水から見下ろす火口(写真)は、ゴツゴツした岩におおわれてすごみがある。おだやかな地形をクロカン散歩気分でぶらぶらしてクールダウン。

 剣が峰方面を見上げると、大勢並んでいる。濃い面々が集結していたとのこと。さながら<ふじやまサロン>といったところか。お釜を大内院というのに対して、このあたりの浅いくぼみを小内院というのだそうだ。コルに戻ってから白山岳に登ってみる。軽やかな雲海を見下ろす気分は最高だ。雲の間にときどき下の方の山や里が見える。

 コルからのくだりは、まさに今シーズン一番と言っていい快適な滑りを堪能できた。広大な斜面。クリアな視界。滑りやすい雪質。標高差にして4-500mは、そんなスキー天国だったが、しだいに雪が重くなり、ついで雲に入って視界が悪くなりとなったが、2750mぐらいまで滑ることができた。そのあとの歩きは長く、特に最後に水平道に出てからの微妙な上り坂がエラかった。道ばたには白樺と、若葉とつぼみをつけた山桜。たどりついた五合目は、インターナショナル観光客が集まって、でもそれほど雑踏はせず、なごやかでにぎやかな様子だった。
 翌日は曇り小雨だったが、先週富士五湖観光をしたときに、スキップした白糸の滝を見物。ここも堂々たる観光地だった。観光協会の駐車場が500円なのだが、それに対抗して近所の店がディスカウントしていて、手持ちの看板で勧誘合戦をしているのがおかしい。夏の富士山も一度登ってみるかな。また、周辺の山から眺めるのも面白そう、とまた次のプランが脳裏をちらつくのだった。

2010年6月7日月曜日

富士は日本一のやま

 昨年は天候が不安定で八合目どまりだった富士山だが、今年は「むらちゃん」ことMさんの縦横無尽の登りっぷり、滑りっぷりに刺激されたこともあって、目指せ剣が峰&お釜の底と張り切ったのだが、寒気が長く居座っていて先週も五合目まで車で上がったものの低温と天候不良で登山中止。かなり気温も上がってきたようなので、あらためて富士宮口からアプローチした。六合五勺過ぎで雪が出てきたら、即、好みのシール&クトースタイルでジグザグをきざんで山頂直下まで登り詰めたが、直前でシールスリップが激しくアイゼン歩行に切り替え。その横をクライミングサポートを高く上げたTLT氏に登って行かれたのはチトくやしかった。剣が峰までアイゼンで登り、ほぼ無風の日本最高地点を楽しむ。(写真は剣が峰から見下ろした富士宮山頂方面)
 甲斐犬の太郎も剣が峰まで登ったが、急下降は苦手なためか逃亡を図ったので、探しに行った飼い主のitokisya氏を置いて、われらはイザお釜の底までも。帰りは200m近く登り返さないといけないというプレッシャーもあるが、落石がちらばり、静まりかえった無人の空間に吸い込まれるように降りていくのは、何か独特の緊張感があった。Mさんはあの岩の上で昼寝をしたのだから(よくあちこちで昼寝をする人だ)と、自分を励ましながら底の底まで降り立った。
 周囲を見渡すと、剣が峰から虎岩(富士宮山頂直下の岩塊)にかけては雪のスロープ(とても急な)だが、それ以外はほとんどゴツゴツした溶岩の断崖にとりかこまれている。崖にはあちこちに氷瀑や氷柱がかかり、ものすごさをましている。ほぼ真西の方向にある氷瀑が白く輝いて美しい(写真)。確かにここは特別な場所だ、としばし感慨にふける。とはいえ、まわりに散らばる岩や氷柱の断片は、長居をすればこういうのが落ちてくるよという警告なわけで、そそくさとアイゼンをつけて登り返した。
 スキーもアイゼンもない太郎には下りはこわいらしく、山頂直下はかなりいやがっていたが九合目ぐらいからしだいに楽そうに歩いて降りていた。(動画)スキーヤーにとっては、山頂直下の凍った斜面を過ぎてしまえば、ほどよく緩んで快適な大斜面。しばらく飛ばしては、itokisyaさんと太郎を待ちながら休憩というパターンで楽に降りることができた。八合目小屋の屋根は暖かくて特に快適だった。
 山中湖畔で一夜を明かして、富士五湖めぐりをしながら帰途についた。山中湖から見上げると吉田大沢はべっとりと白く、来週ぐらいから本格的に富士山、、というMさんのメールを思い出して、なるほどと思うのだった。
itokisyaさんのブログ動画もご覧下さい。

2010年5月24日月曜日

三大雪渓(登りのメソッドについての考察)

 前に大窓越えをした年(2005年)には、三大雪渓を滑った。剱沢、白馬大雪渓、針ノ木雪渓である。剱沢は、毎年おなじみの通勤路みたいなものだが、残りの二つはそれ以来ごぶさたなので、残雪も豊富そうなことだし、行ってみることにした。
5年前との大きな違いはスキーアイゼン(クトー)を使うようになったこと。最近はクライミングサポートを高く立てて直登に近い登りをする人が多いが(板の幅が広くなり、それにきっちり合わせた幅広シールを使うのが一般的になったことが限界傾斜を押し上げているように思う)、ぼくらは細身の板で、クライミングサポートを使わずなるべくジグザグを切って登るのが好みのスタイルだ。しかし、ある程度以上の急斜面でジグザグを切るとどうしても板の横ずれが発生して登れなくなる。スキーアイゼンはこれを押さえてくれるのだ。おかげで今年はどちらの雪渓もシール+スキーアイゼンで登り切ることができた。急斜面は板をかついでアイゼン歩行の方が楽とか安全というご意見もあろうが、ぼくらはこのスタイルが気に入っている。
 良さのひとつは、登りと滑りで運動の感覚があまり変わらないこと。最近のツアーモード切替式テレビンディングは使わないし、クライミングサポートも使わないので、シールが貼ってあること以外はずっと同じ操作感覚だ。思うに、このことによるメリットは、(1)一日中同じスキー操作をするので体感が単純(登っているときにも、滑りの練習ができる、といってもいいかも)、(2)板と足の一体感が保たれるので、急斜面でのキックターンなどシビアな状況でも安定した操作ができる、(3)たとえバランスをくずしても、要するに滑っているときと全く同じ体勢になれるので、恐怖感が少ない、等々。あくまでも自分にとっては、ということですが。
 白馬大雪渓では、前回は6月初めで、白馬尻小屋は組み立て中、大雪渓は赤いマーカーが印されて、夏山シーズン準備中という感じだったが、半月以上早い今回は、猿倉の駐車場脇からスキーで歩き出せる状態。前はヤブこぎもあった白馬尻までの道もサクサクのぼれた。白馬歩行者天国だなぁ(というほど雑踏はしていないけど)と、点々と登っていく人々を眺めながら登り詰めた山頂からは日本海と能登半島がよく見えた。登り6時間、下り1時間。
 針ノ木雪渓では、マヤクボの出合で滑りのシュプールを見定めて、峠への谷とマヤクボの間の尾根状を登ると雪がつながってそうとふんだのだが、正解だった。頂上左の一段下がったところで稜線に上がって登了。同行のjotenki氏がアイゼンで山頂を目指すのを見送る。マヤクボ出合までの滑りはとても快適。ハイマツの中に雷鳥が隠れているのを双眼鏡で見つける。人が多いなぁ、いやだなぁと思っていたに違いない。

Googleアルバム「Hakuba & Harinoki」もご覧下さい。

2010年5月14日金曜日

Making the best of the second good news

 「むらちゃん」ことMさんからもたらされた2番目の良き知らせ、つまり立山川が今年はきれいにつながっていて、馬場島と室堂乗越がスキーをはいたまま行き来できるというのは、少雪の年が多い近年のGWには、なかなか珍しいことのように思う。GW後には雨も降ったので多少条件は悪くなっているにせよ、まだトライする値打ちはあるだろうと、またまた東海北陸道をたどって富山に向かうのであった。田んぼに水が張られて、まだ田植えは済んでいないこの季節が、日本の水田の最も美しい季節ではないだろうか。ことにそこに映るのがこの間滑った大窓だ、ときたらこたえらませんね。
 一応GWも過ぎたので、立山駅では、さほど並ぶこともなくキップが買える。改札前の列には台湾などの国際観光団も多く、スキーを持っている姿が珍しいのか、手真似で一緒に写真に写ってくれと誘われる。いわゆるパンダ扱いである。でも、わるい気はしない。今日は宿に入るだけなので、室堂から例によって、まず山崎カールに向かう。浄土山方面ではイベントなのか、歩いて登ってはソリで滑る人たちが大勢いた。山崎カールから別山乗越上空にかけて何度か往復して高度を稼ぐグライダーあり。稜線からニュッと出てきたときにはびっくりしましたが、文句なしにカッコイイ。
 GWに来れなかった定宿の雷鳥荘で一夜を過ごしたあとは、本番の立山川くだり。まずは室堂乗越、というより、Mさん情報でその少し東側の枝沢(権右ェ門谷というらしい)のコルをめざす。情報通り滑り出しもスムーズだし、谷自体もフラットな雪面が続いている。新しそうなシュプールと、行く手に人影があったので先行者かと思ったら、登ってくる人だった。おそるおそる「登り返しですか?」と尋ねたら、馬場島から登ってきたとのこと。やった!これで馬場島まで降りられることが分かった。その人は剱御前まで日帰りするとのこと。強い人はたくさんいるのだ。
 この写真は、ちょっと説明がいる。前夜、雷鳥荘で妙高バックカントリースキースクールの小笠原さん親子とビルさんと一緒になって、遅くまで飲んだのだが、そのときのタッツァンのヨタ話に、登山部時代に雪渓でのキジ(大)直後にちょっと足を滑らせてしまった奴が這い上がってきて、拭く手間が省けたよ、と強がるのを見たら、雪面に黒い筋がついていた(汚くてスミマセンスミマセン)というのがあったのを、この光景を見て思い出したのだった。このあいだのMさんとボルトマンのワンゲルキスリング伝説(タッシェに入らないモノはないんだ!)といい、山屋のヨタ話はオモシロイのだ。もっとデブリだらけかと思ったら意外にスキー滑降が楽しめる立山川だった。
 しかし、しだいに両側の岸壁は狭まり、雪が割れて流れもだんだん出てきて、ついに「オクノスワリ」といわれるあたりに来た。上で会った人には「左岸をずっと行くのがいいよ」と言われていたが、一応右岸(この写真では、流れの向こうが右岸、手前が左岸)もチェックして見る。赤いリボンがぶらさがっていたりして、季節によっては道になっているのだろうが、今は雪の切れたところのつながりがわるそうだ。左岸は途中に軽いヤブコギはあるが、それ以外はきれいに雪がつながっているので、やはり左岸が良かったのだった。
 ここを過ぎてしまえば、わるいところもなく、取水口を経て林道をくだり、無事馬場島への道に出ることができた。雪の消えた所には、春の使者といいたくなるキクザキイチゲが、さわやかな姿を見せている。このあいだ来たばかりの馬場島荘でチャイを飲みながら、剱の岩峰を再び眺めて、やっぱりいいところだなぁと、せつないような気持ちになったのだった。(5/19記す)(10/8追記 佐伯邦夫先生の「富山湾岸からの北アルプス」によると、ここで「オクノスワリ」と書いた場所は「クチノスワリ」だそうだ。「オクノスワリ」は東大谷出合より上流で、この時期は雪に埋もれている。)

2010年5月13日木曜日

Happy encounter in deep Tsurugi - a story

「あ、何かどこかで見たようなと思ったら、やっぱりMさんでしたか。」
三の窓に突き上げる長い長い斜面を登っている途中、さーっと先行していった単独行の山スキーヤーと、我々グループの先鋒のボルトマンが立ち話しているところに追いついたら、楽しい出会いが待っていました。「むらちゃん」の名前でブログを公開しているMさんとは、5年前に剱沢小屋でご一緒して、その日Mさんが滑った大脱走ルンゼの様子を聞きながら楽しく飲んだことがあります(剣山頂から滑り出してもなかなか下が見えてこないんですよ、というコワイ話とか)。Mさんは、竹前さん(十石山のシュルンドで亡くなった山スキーと雪崩対策の伝道者)を介してボルトマンとも知り合いだったので、すぐに皆意気投合。その日は、三の窓を往復して剣山荘に戻る僕らと、三の窓から池の谷左股を滑って馬場島に降りるMさんというふうに一旦お別れしたのですが、Mさんは翌日立山川を登って来るというので剣山荘での再会を期したのでした。
 今年の剣山荘はあいかわらず空いていて、しかも3人グループだったので個室までもらってしまって、快適に3泊させてもらいました。窓が二重窓になって断熱性が良く、去年は少し寒かった食堂兼談話室もぽかぽかでした。三の窓の翌日、長次郎谷左股を往復してきて軽く昼寝でもと思っていたら、ボルトマンが「Mさん、来ましたよ!」。早速お出迎えに行って、夕食まで延々と山を肴にドリンクタイムが続いたのでした。
 Mさんのもたらした朗報は、白萩川は徒渉なしに馬場島まで降りられる!、立山川も馬場島から室堂乗越まできれいにつながっている!の二つ。白萩川は、剱岳以北の西面に刻まれた池の谷や仙人谷の水を集めて馬場島に流れ込んでいる川ですが、たいていの年は馬場島直前のタカノスワリというところで徒渉か高巻きが必要になります。私たちが以前に大窓越えというルートで白萩川を降りたときも、結構な水量の徒渉になって難儀をしました(ロープ確保がないと危険なレベル)。それが無いと聞き、また明日はMさんも大窓越えで再び馬場島に向かう(山スキーの猛者なのになぜかポピュラーな大窓越えが未踏との意外な発言)と聞いて、それまで考えていたゆるいサブプランは一気に吹っ飛び、これは一緒に行かせてもらうしかないと衆議一決したのでした。(二番目の朗報も後日使わせてもらいました)
 というわけで、4人パーティーでのぞんだ翌日の大窓越え。まずは二股までの剱沢滑降、平の池への登り、小黒部谷への滑降、そして大きな雪庇がはりだす大窓を目指しての登りというクライマックス。崩れやすい雪をだましながらの難しい登攀をボルトマンがリードしてくれました。そして、まるでゲレンデのような大窓直下の快適な滑り、それに続くデブリの海をひたすら耐える下降(板に縦溝がいくつもできました。直進安定性が向上?)。池の谷出合直前に出現した高巻き。と、様々なドラマの末に、約束通り大きなスノーブリッジでタカノスワリを難なく通過し、山桜の咲く馬場島への扉は開かれたのでした。
 道端の草付きに咲くカタクリやショウジョウバカマ、イワカガミたちを愛でながら、そして剱連山の岩峰を振り返りながら辿る馬場島への道の楽しさ。馬場島というところはクルマで行ける上高地のようなところだなぁといつも思います。また、その自然の美しさを愛でに来られる富山の人たちのようすがまさに自然体で美しい。馬場島荘という、地上に降りた山小屋(宿の人たちがあったかい、それでいて設備は超快適)で、山菜の天ぷらや岩魚のご馳走をいただいて、山の良さを全身に感じた一夜でした。

Googleアルバム「Tsurugisawa Days」もご覧下さい。

(追記:Mさん=村石等さんは2017.5.4に奥穂高岳南面の扇沢を登攀中に雪崩でお亡くなりになりました。)

2010年4月27日火曜日

1年ぶりのロープウェイ

 去年は、PowderGuide誌の取材で行って、絶好の雪と空いた斜面を味わわせてもらった中央アルプス千畳敷周辺。味をしめてまた4月末の同じ時期に行ってきた。去年は撮影がメインであまり遠くには行かなかったが、今回の目標は三沢岳。上がった日は日差しもなく雪面はカチカチで、八丁坂(木曽駒方面に向かうときに最初に上がるところ)を往復しただけで終わった。スキーアイゼンが刺さる限界だった(一部限界以上)。翌朝はすっきりと晴れた。まず昨日と逆に極楽平に板をかついで(あるいは引きずって)アイゼン歩行で登る(GWの練習も兼ねて)。宝剣方面に登山道をたどり、いくつかルンゼをのぞきこむ。それほど急ではなさそう。去来する雲が影を落とす雪面が美しい。三沢岳の斜面はちょっと複雑な曲面を描いている。
 一旦谷底まで快調にパラレルで飛ばしてから、斜面をトラバースして、しだいに右手の稜線に上がり、登っていく。御岳、乗鞍が美しい。山頂のある稜線に上がったところで終了。傾斜がよく分からないので来た稜線を下り、適当なところでボウルに滑り込む。そのまま谷に入るが、このへんも起伏がよく分からない。離れて見ていて、どこまで下りでどこから登りかよく分からない。意外に深い谷が現れたり。視界がないと余計によく分からないだろう。氷河地形と浸食地形がミックスしているせいか。極楽平に戻り、きれいそうな雪面を探して滑り降りた。あちこちでデブリが出ている。どうも今年はいつまでもなまじ降雪があるので、表層の崩れが多い。要注意の年だ。(5/11 記す)

2010年4月20日火曜日

白馬days(手抜きバージョン)

 今回はみそら野のポカラの別館コテージ(左の小さな建物)に泊まっての二日間のツアーでした。詳細はitokisyaのブログとか、jotenkiのブログの初日二日目や、itokisyaの初日二日目の動画を見てください。(ポカラ本館ペンションは休業中)




 初日は栂池から白馬乗鞍に登って、10 cmぐらいの表層雪崩があちこちで落ちる中をブンブン滑ったり








 次の日は八方押出沢のいかにも滑りにくそうなバーンを滑ったりして







 最後はこんなスノーブリッジを渡って帰ってきたのでした。







 帰り道には緑あふれる大王わさび農場で休んで帰りました。このコントラストがたまらないですね。そういえば黒沢監督の「夢」にも冬山で雪女が出てくる夢と、ここでロケをした緑いっぱいの夢が混じって出てきました。。。

2010年4月6日火曜日

妙高山を大きくぐるっと

 元高谷池ヒュッテ管理人の築田さんのお仲間にまぜてもらって、前から行ってみたかった火打山から澄川源流に滑り込むツアーをした。途中、登り返して容雅山登頂もセットになったお得なプランだ。笹ヶ峰への道の除雪終了点(スキー場の真ん中ぐらい)から歩き出して、笹ヶ峰、黒沢とたどるが皆さんのハイペースがつらい。黒沢岳直下は雪まじりの強い西風が吹き付けるカリカリの斜面をひたすら駆け抜けるようにトラバース。傾斜がゆるむとほどなくなつかしい高谷池ヒュッテが見える。めでたく一番乗りで、奥にテーブルを据えて陣地を確保し、飲み会の始まり。ザックからドンドン出てくるビールをお裾分けしてもらって、楽しいヨタ話。皆さん、飲み会とメシに情熱を傾けておられて、つまみというか料理というかグルグル目が回るほど回ってくるので、これもありがたくいただく。ごちそうさまでした。
 結局3パーティーで小屋がほどよくいっぱいになった。夕方には風もおさまり、長い静かな夜を過ごした後は期待通りの無風晴天。火打山が朝日に赤く染まる。火打山周辺はかなり堅くなっていることが予想されるので、出発は9時。軒下に設置されたwebカメラが毎時正時に自動撮影なので、集合写真を撮ってからの出発だ。稜線に近づくと予想通りカチカチ。スキーアイゼンで2340mぐらいまで行くが、この上は滑るのもたいへんそうなので頂上はパスして澄川源頭に滑り込む(写真)。パック気味のパウダーにところどころまだらにアイスバーンが混じる、なかなかやっかいなコンディション。しかしここはまだ良い方だった。1900mぐらいからデブリ帯がはじまる。ガチガチのデブリの山が谷の真ん中を占めているので、端の方をなんとか拾ってすべるが、重いパウダーの中に、氷山の一角のようにデブリの塊が少しだけ顔を出している。小さいから蹴散らそうとしても根もとはデカイのでびくともせず、こっちがころぶ。たいへんやっかいだ。
 1650mぐらいでなんとかデブリ帯が終わり、滑りやすい雪になった谷底を辿っていくと前方に容雅山が見える(写真)。澄川は全般に、ゲジゲジだらけの地形図から想像するよりずっと穏やかな雰囲気だ。1160mあたりの地形図上は左岸が岩のガケになっているところが登り返しのポイント。といってもすっぽりと雪におおわれていて取り付きは良い。汗をかきながら登っていくと対岸の黒菱山がきれいに見える。
 容雅山山頂直下は稜線が細く急な登りとなってシール登高はつらい(写真)。稜線自体はそれほど狭くないのだがブッシュがあって通れるところが狭い。スキーアイゼンをつけて挑んだが、一部やむをえずツボ足。スキーツアーの技術体系というのはありがたいもので、道具の選び方や身のこなし、コースの選び方まで先人の経験の蓄積のおかげで、こうして能率の良い移動が可能になる。などとブツブツ考えながら登りついた山頂はなんとも穏やかな丸いドーム。
 またまた冷たいビールのお裾分けに感激しながら、火打を振り返ったり、前に辿った大毛無山からのルートを眺めたり。ここからの北東斜面が最高の雪質だった。自分が蹴散らしたピンポン玉大の雪片が乱れ飛ぶ中を、それらと競うようにカービングターンを刻んでいく至福。澄川が割れていて徒渉があったりしたが、林道クロカンレースを経てクルマのデポ地点にすんなり到着。出発点まで乗せてもらう車中から妙高・火打の連山を眺めて、あらためてこのコースの長さを思った。築田さんとお仲間の皆様、お世話になりました。

Camera: Canon PowerShot S90

2010年3月30日火曜日

奈良にはBD-1がよく似合う

 何年か前に奈良に行ったとき、唐招提寺はちょうど金堂の大改修中で「おほてらのまろきはしらの」並ぶ様を見ることができなかった。昨秋だったか改修が終わったと聞いていたので、今回春の奈良を訪ねるに当たって、まず唐招提寺に行ってみた。この唐招提寺は、薬師寺と並んで西の京の二大観光スポットだが、薬師寺と比べるといつも地味というか学究的というか、対比が面白い。今回の改修も金堂の骨組みまで全部バラバラにした大規模なものだったが、結果は「どこを直したんですか?」と聞きたくなるぐらい元のとおり。この屋根瓦がびしーっと一直線に並んでいるあたりがポイント、なのかな?
 境内を一回りしてみる。風は少し冷たいが、春の花がいろいろ咲いていて楽しい。ここは、鑑真和上の御影堂の入り口。年に一度、数日間だけ和上の像が公開される。高校生のときに見に来た覚えがあるが、和室の一角に思ったより小柄な像がまつってあったような。この建物は旧一条院門跡の遺構を移築した(パンフレット丸写し)とのことで、入り口から見ただけでも格調の高さがうかがえる。



 あたりの風情が自転車向きのように思えたので、車に積んであったBD-1を取り出して、まずは薬師寺へ。あいかわらずにぎわっている。東塔の修理が10月から始まるので、10年間は東塔・西塔の並んだ姿は見られないとか。4−10月は東塔一階の内部も見せます、という人集めをするところがさすがに薬師寺的商売路線。こんな案内図を見たので西大寺まで走ってみることにする。垂仁天皇陵はお堀が大きく水鳥がたくさん集っている。新興住宅地を抜けてだんだんにぎやかなあたりに近づいて、ふと横を見ると西大寺の東門だった。
 東大寺と並び称されるが、西大寺に来たのは初めて。近鉄の駅があるので名前には親しみがある。巨大な茶碗を使う茶会があるといううっすらとした記憶。写真は東塔の台座だが、西塔は跡形もない。元は薬師寺の様に東塔西塔に金堂を配したパターンだったようだが、その様子は全く失われている。東塔跡のすぐ脇に本堂があるが、これは江戸時代の建物。だいたい奈良の寺は中国式なのか土足で歩けるスタイルだが、ここは近世の建物なので板敷きになっている。現場では何か変だなと思っただけだったが、後で思うとそういう違いなのだった。次は、遷都1300年記念行事を一ヶ月後に控えて突貫工事が行われている平城京跡。だだっぴろいので、まさに自転車向き。このあたりで道路が渋滞気味なのを見て、いっそこのまま自転車で東大寺まで行ってみるかと思う。
 行き当たりばったりで東に走り、猿沢の池に到着。ここまで来ると奈良に来た気がする。新しくなった興福寺の宝物殿で久々に阿修羅像を見る。鹿せんべい(150円)を買って、手を鹿のよだれでべとべとにしながら、東大寺に至り、大仏殿に参拝。ここはさすがに人が多い。おつりが少ないように大人一人500円と切りのいい数字になっているのがおかしい。「大仏は見るものにして尊ばず」(米朝さんの落語「鹿の政談」)というそうだが、老若男女世界中の人が見物に集まっている感じ。柱の穴の通り抜けも長い行列ができていた。帰りは奈良町からJR奈良駅(高架工事中)、三条通(ところどころ工事中)を突っ走って(自転車向き)、秋篠川沿いの自転車道を走って唐招提寺に帰着。サイクリングとポタリングの中間ぐらいのバイクライドであった。(ちなみにここの自転車道では、車道との交差点で一旦停止とも降りて歩けとも書いてありませんでした。正しい。)