2010年5月24日月曜日

三大雪渓(登りのメソッドについての考察)

 前に大窓越えをした年(2005年)には、三大雪渓を滑った。剱沢、白馬大雪渓、針ノ木雪渓である。剱沢は、毎年おなじみの通勤路みたいなものだが、残りの二つはそれ以来ごぶさたなので、残雪も豊富そうなことだし、行ってみることにした。
5年前との大きな違いはスキーアイゼン(クトー)を使うようになったこと。最近はクライミングサポートを高く立てて直登に近い登りをする人が多いが(板の幅が広くなり、それにきっちり合わせた幅広シールを使うのが一般的になったことが限界傾斜を押し上げているように思う)、ぼくらは細身の板で、クライミングサポートを使わずなるべくジグザグを切って登るのが好みのスタイルだ。しかし、ある程度以上の急斜面でジグザグを切るとどうしても板の横ずれが発生して登れなくなる。スキーアイゼンはこれを押さえてくれるのだ。おかげで今年はどちらの雪渓もシール+スキーアイゼンで登り切ることができた。急斜面は板をかついでアイゼン歩行の方が楽とか安全というご意見もあろうが、ぼくらはこのスタイルが気に入っている。
 良さのひとつは、登りと滑りで運動の感覚があまり変わらないこと。最近のツアーモード切替式テレビンディングは使わないし、クライミングサポートも使わないので、シールが貼ってあること以外はずっと同じ操作感覚だ。思うに、このことによるメリットは、(1)一日中同じスキー操作をするので体感が単純(登っているときにも、滑りの練習ができる、といってもいいかも)、(2)板と足の一体感が保たれるので、急斜面でのキックターンなどシビアな状況でも安定した操作ができる、(3)たとえバランスをくずしても、要するに滑っているときと全く同じ体勢になれるので、恐怖感が少ない、等々。あくまでも自分にとっては、ということですが。
 白馬大雪渓では、前回は6月初めで、白馬尻小屋は組み立て中、大雪渓は赤いマーカーが印されて、夏山シーズン準備中という感じだったが、半月以上早い今回は、猿倉の駐車場脇からスキーで歩き出せる状態。前はヤブこぎもあった白馬尻までの道もサクサクのぼれた。白馬歩行者天国だなぁ(というほど雑踏はしていないけど)と、点々と登っていく人々を眺めながら登り詰めた山頂からは日本海と能登半島がよく見えた。登り6時間、下り1時間。
 針ノ木雪渓では、マヤクボの出合で滑りのシュプールを見定めて、峠への谷とマヤクボの間の尾根状を登ると雪がつながってそうとふんだのだが、正解だった。頂上左の一段下がったところで稜線に上がって登了。同行のjotenki氏がアイゼンで山頂を目指すのを見送る。マヤクボ出合までの滑りはとても快適。ハイマツの中に雷鳥が隠れているのを双眼鏡で見つける。人が多いなぁ、いやだなぁと思っていたに違いない。

Googleアルバム「Hakuba & Harinoki」もご覧下さい。

2010年5月14日金曜日

Making the best of the second good news

 「むらちゃん」ことMさんからもたらされた2番目の良き知らせ、つまり立山川が今年はきれいにつながっていて、馬場島と室堂乗越がスキーをはいたまま行き来できるというのは、少雪の年が多い近年のGWには、なかなか珍しいことのように思う。GW後には雨も降ったので多少条件は悪くなっているにせよ、まだトライする値打ちはあるだろうと、またまた東海北陸道をたどって富山に向かうのであった。田んぼに水が張られて、まだ田植えは済んでいないこの季節が、日本の水田の最も美しい季節ではないだろうか。ことにそこに映るのがこの間滑った大窓だ、ときたらこたえらませんね。
 一応GWも過ぎたので、立山駅では、さほど並ぶこともなくキップが買える。改札前の列には台湾などの国際観光団も多く、スキーを持っている姿が珍しいのか、手真似で一緒に写真に写ってくれと誘われる。いわゆるパンダ扱いである。でも、わるい気はしない。今日は宿に入るだけなので、室堂から例によって、まず山崎カールに向かう。浄土山方面ではイベントなのか、歩いて登ってはソリで滑る人たちが大勢いた。山崎カールから別山乗越上空にかけて何度か往復して高度を稼ぐグライダーあり。稜線からニュッと出てきたときにはびっくりしましたが、文句なしにカッコイイ。
 GWに来れなかった定宿の雷鳥荘で一夜を過ごしたあとは、本番の立山川くだり。まずは室堂乗越、というより、Mさん情報でその少し東側の枝沢(権右ェ門谷というらしい)のコルをめざす。情報通り滑り出しもスムーズだし、谷自体もフラットな雪面が続いている。新しそうなシュプールと、行く手に人影があったので先行者かと思ったら、登ってくる人だった。おそるおそる「登り返しですか?」と尋ねたら、馬場島から登ってきたとのこと。やった!これで馬場島まで降りられることが分かった。その人は剱御前まで日帰りするとのこと。強い人はたくさんいるのだ。
 この写真は、ちょっと説明がいる。前夜、雷鳥荘で妙高バックカントリースキースクールの小笠原さん親子とビルさんと一緒になって、遅くまで飲んだのだが、そのときのタッツァンのヨタ話に、登山部時代に雪渓でのキジ(大)直後にちょっと足を滑らせてしまった奴が這い上がってきて、拭く手間が省けたよ、と強がるのを見たら、雪面に黒い筋がついていた(汚くてスミマセンスミマセン)というのがあったのを、この光景を見て思い出したのだった。このあいだのMさんとボルトマンのワンゲルキスリング伝説(タッシェに入らないモノはないんだ!)といい、山屋のヨタ話はオモシロイのだ。もっとデブリだらけかと思ったら意外にスキー滑降が楽しめる立山川だった。
 しかし、しだいに両側の岸壁は狭まり、雪が割れて流れもだんだん出てきて、ついに「オクノスワリ」といわれるあたりに来た。上で会った人には「左岸をずっと行くのがいいよ」と言われていたが、一応右岸(この写真では、流れの向こうが右岸、手前が左岸)もチェックして見る。赤いリボンがぶらさがっていたりして、季節によっては道になっているのだろうが、今は雪の切れたところのつながりがわるそうだ。左岸は途中に軽いヤブコギはあるが、それ以外はきれいに雪がつながっているので、やはり左岸が良かったのだった。
 ここを過ぎてしまえば、わるいところもなく、取水口を経て林道をくだり、無事馬場島への道に出ることができた。雪の消えた所には、春の使者といいたくなるキクザキイチゲが、さわやかな姿を見せている。このあいだ来たばかりの馬場島荘でチャイを飲みながら、剱の岩峰を再び眺めて、やっぱりいいところだなぁと、せつないような気持ちになったのだった。(5/19記す)(10/8追記 佐伯邦夫先生の「富山湾岸からの北アルプス」によると、ここで「オクノスワリ」と書いた場所は「クチノスワリ」だそうだ。「オクノスワリ」は東大谷出合より上流で、この時期は雪に埋もれている。)

2010年5月13日木曜日

Happy encounter in deep Tsurugi - a story

「あ、何かどこかで見たようなと思ったら、やっぱりMさんでしたか。」
三の窓に突き上げる長い長い斜面を登っている途中、さーっと先行していった単独行の山スキーヤーと、我々グループの先鋒のボルトマンが立ち話しているところに追いついたら、楽しい出会いが待っていました。「むらちゃん」の名前でブログを公開しているMさんとは、5年前に剱沢小屋でご一緒して、その日Mさんが滑った大脱走ルンゼの様子を聞きながら楽しく飲んだことがあります(剣山頂から滑り出してもなかなか下が見えてこないんですよ、というコワイ話とか)。Mさんは、竹前さん(十石山のシュルンドで亡くなった山スキーと雪崩対策の伝道者)を介してボルトマンとも知り合いだったので、すぐに皆意気投合。その日は、三の窓を往復して剣山荘に戻る僕らと、三の窓から池の谷左股を滑って馬場島に降りるMさんというふうに一旦お別れしたのですが、Mさんは翌日立山川を登って来るというので剣山荘での再会を期したのでした。
 今年の剣山荘はあいかわらず空いていて、しかも3人グループだったので個室までもらってしまって、快適に3泊させてもらいました。窓が二重窓になって断熱性が良く、去年は少し寒かった食堂兼談話室もぽかぽかでした。三の窓の翌日、長次郎谷左股を往復してきて軽く昼寝でもと思っていたら、ボルトマンが「Mさん、来ましたよ!」。早速お出迎えに行って、夕食まで延々と山を肴にドリンクタイムが続いたのでした。
 Mさんのもたらした朗報は、白萩川は徒渉なしに馬場島まで降りられる!、立山川も馬場島から室堂乗越まできれいにつながっている!の二つ。白萩川は、剱岳以北の西面に刻まれた池の谷や仙人谷の水を集めて馬場島に流れ込んでいる川ですが、たいていの年は馬場島直前のタカノスワリというところで徒渉か高巻きが必要になります。私たちが以前に大窓越えというルートで白萩川を降りたときも、結構な水量の徒渉になって難儀をしました(ロープ確保がないと危険なレベル)。それが無いと聞き、また明日はMさんも大窓越えで再び馬場島に向かう(山スキーの猛者なのになぜかポピュラーな大窓越えが未踏との意外な発言)と聞いて、それまで考えていたゆるいサブプランは一気に吹っ飛び、これは一緒に行かせてもらうしかないと衆議一決したのでした。(二番目の朗報も後日使わせてもらいました)
 というわけで、4人パーティーでのぞんだ翌日の大窓越え。まずは二股までの剱沢滑降、平の池への登り、小黒部谷への滑降、そして大きな雪庇がはりだす大窓を目指しての登りというクライマックス。崩れやすい雪をだましながらの難しい登攀をボルトマンがリードしてくれました。そして、まるでゲレンデのような大窓直下の快適な滑り、それに続くデブリの海をひたすら耐える下降(板に縦溝がいくつもできました。直進安定性が向上?)。池の谷出合直前に出現した高巻き。と、様々なドラマの末に、約束通り大きなスノーブリッジでタカノスワリを難なく通過し、山桜の咲く馬場島への扉は開かれたのでした。
 道端の草付きに咲くカタクリやショウジョウバカマ、イワカガミたちを愛でながら、そして剱連山の岩峰を振り返りながら辿る馬場島への道の楽しさ。馬場島というところはクルマで行ける上高地のようなところだなぁといつも思います。また、その自然の美しさを愛でに来られる富山の人たちのようすがまさに自然体で美しい。馬場島荘という、地上に降りた山小屋(宿の人たちがあったかい、それでいて設備は超快適)で、山菜の天ぷらや岩魚のご馳走をいただいて、山の良さを全身に感じた一夜でした。

Googleアルバム「Tsurugisawa Days」もご覧下さい。

(追記:Mさん=村石等さんは2017.5.4に奥穂高岳南面の扇沢を登攀中に雪崩でお亡くなりになりました。)