2012年8月14日火曜日

五色ヶ原、越中沢岳

 お盆直前の金土日で、立山、五色ヶ原方面を歩いてみた。山スキー愛好家にとっては立山から槍ヶ岳を目指す「日本のオートルート」の出だしの部分としてなじみ深い。この季節は五色ヶ原のお花畑も楽しみだ。前夜に麓のホテルに泊まって、朝ホテル前から室堂行きの直行バスが出るという極楽プラン。いつものアルペンルートのバスの録音ガイドと違ってガイドさんがひたすらしゃべり倒してくれるのでいろいろ新しいことも知った。立山町とネパールのクムジュン村は姉妹関係なので中学生の交換訪問をしてるとか。いいなぁ。舗装路のような道を人混みをかきわけて一ノ越まであがる。JunRinaのJunさんが大部隊を率いて雄山に上がっていった。
 龍王に向かって稜線を登り出すと、人の数はがたっと減る。富山大の施設で五色ヶ原方面に向かうとさらにがた減り。写真は鬼岳の東面をトラバースするところ。雪がまだ多い。
 獅子岳は雷鳥が多いと言われているので期待して歩いていたら、道の真ん中で母子が砂浴びをしていた。延々とやっているのを待ってもうそろそろと歩きかかると、脇のお花畑に避けてくれたところを撮影。たっぷり砂が入っているので、身震いをするとパッと砂埃が立つのが面白い。春スキーの時期には雌雄ペアでうろついていて、雄どうしがグェェェェと縄張り宣言をしあう姿ばかりが見られるが、この季節は母子連ればかり。雄はどこかで遊んでるのか。獅子岳のザラザラ滑りやすい急坂を下りてザラ峠から少しの登りで初めての五色ヶ原。ハクサンイチゲやチングルマといった雪田が融けたあとに咲く花々が一面に咲いている。
 翌日はガスに覆われた中を鳶山に登り越中沢岳を目指す。このあたりの山は、獅子岳、鳶山、越中沢岳いずれも北はゆるやか南は急坂になっている。鳶山を過ぎたところでガスが切れて薬師岳が姿を現した。一日ピーカンもいいが、こういうのはドラマチックで良い。越中沢岳は樹木のない広い尾根を登っていくところがなんとも気分がいい山だった。
 帰りは少し降られたが夕方はまた視界が回復。夕方キャンプ場を見に小屋から少し下って見たのがこの光景。ここから見ると向かいの後立山連峰の針ノ木岳(左の鋭峰)の右に小さな鋭峰がきれいに見える。蓮華岳の南にある北葛岳だ。船窪、針ノ木間の縦走路はここを通っている。アップダウンの激しい道だが一度歩いてみたい。初日は六畳間貸し切りだったが、2泊目も六畳間に4人とお盆休みにしてはありがたい空き具合。天気予報がわるいのが幸いしたようだ。山小屋には珍しく風呂があるのはありがたいが、「つかるだけで汲み出しはなるべく控えて下さい」なので、これならシャワーだけの方がありがたいかも。いつも男子が先なのも不公平感あり。食事は、最近の山小屋としては質素だが、できあいではなく手作りのおかずが小皿に並ぶ「お膳」風。晩酌をしてるとご飯のおかずがなくなるので、最初からモリモリご飯を食べてカロリー補給をするのが吉。
 予報がはずれて翌朝は快晴。10時ぐらいまでは遠くの山々まで良く見えた。往復コースといえども、天気、時間帯、顔の向きが違うので帰り道の景色も新鮮だ。写真手前が獅子岳、左にガスをまとった鬼岳、ガスの上は左が龍王岳、右が雄山。
 朝露をおびたチングルマはいつ見ても美しい。
 獅子岳から振り返ったところ。右から鷲岳、鳶山、越中沢岳。奥が薬師岳とその左に黒部五郎岳。先週歩いた八ヶ岳は双眼鏡でうっすら認められたが、富士山は雲の中。笠岳の左に顔を覗かせているのは乗鞍かと思ったが、帰ってカシミールで確認すると御嶽だった。富山大施設前の人通りの多いハイマツの中に雷鳥がゴソゴソしている。よく見ると周りで5羽の雛があっちこっちウロウロ。晴れた日に大胆なと思ったがこういう日はかえって人の多いところの方が安全なのかもしれない。岩ゴロゴロの浄土西面を下りて室堂に戻り、空いたバス・ケーブルで麓のホテルに戻って至福の温泉を味わった。

2012年8月7日火曜日

41年ぶりの北八ツ

初めて長野県の山に登ったのは(生まれ育った大阪以外の山に初めて登ったのは)、高校1年の夏に社会科の鈴木嘉幸先生(キンギョ)が希望者を募って連れて行ってくれた山行ツアーだった。登った山は、戸隠山、飯縄山、そして北八ヶ岳縦走。最初は日帰りで軽い荷物で足慣らしをして、最後は重いザックをかついで景色の良い縦走という企画だったのだなと思う。今回は41年ぶりにその北八ツ縦走を再現してみた(飯縄山はこの春にスキーで再訪することができた)。鈴木先生(1982年に40代の若さで病没された)は、「宿には風呂がついてなければならない」というポリシーの持ち主だったので、渋御殿湯に泊まって、黒百合平に上がり、天狗岳、根石岳と縦走して夏沢峠で荷物を置いて硫黄岳を往復し、本沢温泉に降りて宿泊というプランだった。残念ながらそのときはずっと曇り・小雨で展望もほとんどなかったが、今回は晴天に恵まれて、先生はこの景色を見せたかったのかと、遅ればせながら堪能することができた。

渋ノ湯から黒百合平までの道はずっと樹林の中。黒百合ヒュッテで一休みして岩だらけの「天狗の奥庭」コースをたどるとだんだん景色が開けて来て、ついに西方面の大パノラマが広がる。写真の右は槍・穂高。真ん中が乗鞍、左の台形が御嶽だ。こんな景色を見ていたら次々といろんなところに行きたくなっただろうな(見なくても結局行きまくってるわけだが)。
天狗の奥庭から南の行く手を見れば、東天狗(左)、西天狗(右)がそびえている。あまり岩ゴロゴロを歩いた覚えもないし、天気が悪かったから前回は中山峠から縦走路を東天狗に向かったのだろう。あの時は稜線で雨風が強くなり十数名のパーティーがばらけてしまって、「東天狗で一旦集まって西天狗往復をしようと思ってたのに」と、2年生の先輩が叱られていたのを覚えている。今回は良い天気なので気持ちよく西天狗往復。
東天狗から南下すると根石岳(ちょっとした岩のでっぱり程度)。写真は根石岳の南の鞍部で、右に根石岳山荘がある。なぜかこの「白い平坦な場所の向こうが緑の樹林でちょっと登りになっている」光景が記憶に残っていたのだが、ここだったのかと納得した。あたりはコマクサの復元地になっていてたくさんのコマクサが咲いていた。
静かな樹林をしばらく下ると夏沢峠。まだ12時頃なので、ちょっと300mの登りはエライが、前回同様に硫黄岳往復をすることにする。硫黄岳は火山地形が面白い。写真は山頂付近にいる人たちを、少し東に離れたところから見たところ。溶岩に分厚く覆われた様子と、その上を楽しげに行き来する人たちのコントラストが面白い。地球の断面図イラストみたいだ。硫黄岳からは横岳、赤岳、阿弥陀岳など南八ツの眺めがすばらしい。ちょっと疲れて硫黄岳山荘あたりまで行かなかったのでコマクサの群落を見逃してしまった。前回は結構感動した覚えあり。
峠にもどって山びこ荘でコーヒーブレイク。窓辺の餌台に、のどのサーモンピンクが美しい「ウソ」がたくさん来ていた。近くで見ると背中のグレイとの取り合わせが大変きれいな鳥だ。本沢温泉のちょっと上から硫黄岳を見上げたのが左の写真。からまつが美しい。このあたりに野天風呂があるそうだが今回はパス。おかしいことに、前回は硫黄岳以降の記憶が全くない。よほど疲れて宿までたどり着いたのだろう。本沢温泉は山小屋っぽいけど旅館なので個室もたくさんあり、くつろぐことができた。白馬鑓温泉より高いところにあるというのはちょっと驚いた。
翌日は、主に東側を歩いて渋ノ湯に戻った。山を越えて温泉に泊まってまた山越えで帰ってくるあたり、一昨年のトランス御岳にちょっと似たコースプラン。まず樹林の中をみどり池に向かう。写真のように湖面に映る東天狗が美しい。湖畔のしらびそ小屋でモーニングコーヒーと思ったが、食事の準備中で断られて残念。中山峠へ上る道はだんだん急になり最後は結構息が切れた。また樹林の中の道をたどって小さな岩峰「ニュウ」へ。ここからは富士山が見えると聞いていたが、辛うじて雲の上にてっぺんだけが見えた。白駒池経由で高見石に登りあたりの景色に別れを告げる。
最終ピッチは高見石から谷沿いに渋ノ湯へ。出だしは苔むした樹林の中。雰囲気は良いのだが、通る人が少ないのか倒木が道をふさいだままになっていたり、やや荒れた印象だ。渋御殿湯が駐車場代一日千円取ったり何かと登山者に冷淡なのに対して、他に便利な登山口が増えたりして、ここを歩く人はかなり減っているようだ。「渋ノ湯」から上がって来たといってもそれがどこか知らない人も多くなった。このコースのハイライトは写真の「賽の河原」だ。延々と続く大岩を飛んで行く。日射しがないときでも、結構足にこたえるのに、この日は格別にきびしい日射しがふりそそいでいたのでかなり参った。ようやくたどり着いた渋御殿湯では、立ち寄り入浴は3時までと断られたので(つくづく愛想のない宿だ)、ちょっと下の辰野館で温泉三昧(ここは4時まで。ただし一人¥1,500ナリ)。18℃の源泉は最初震え上がったがだんだん快感になった。 41年前は、姉に借りたコンパクトカメラ(ミノルタHI-MATIC C)に20枚撮りのカラーネガを一本入れて行って、全部は撮りきらずに帰ってきた(つつましい)。この後ワンダーフォーゲル部に入ってからは、主に大阪周辺の日帰りだが色んな山に行くようになり、記録ノートも書くようになったが、この山行については何も書いていないので、このカビだらけのネガ一本だけが記録として残っている。
(後日、鈴木先生の手書きのチラシが見つかったので貼っておく。最後の宿は本沢温泉ではなくて稲子湯だったらしい。行ったら何か思い出すかな。pdf






2012年5月22日火曜日

富士山、土曜日曜

先週行った人たちのブログによれば、かなり残雪が豊富で特に南面が例年になく良い状況という富士山。みごとに移動性高気圧におおわれるという予想天気図に後押しされて、土曜日に富士宮口から入った。写真は新五合目駐車場から見上げた山頂方面。例年この季節には、板をかついで登山道を右へ大きくトラバースして六合目、さらにゴツゴツの溶岩の道をひとしきり上ってやっと登山道脇の雪渓で板をはくという段取りだが、今年は先発の皆さんに習ってこの雪渓を詰めてみることにした。近景のボードの一隊は峯岸ガイドの筋斗雲。このあいだの雷鳥荘でも一緒だったが、この日も抜きつ抜かれつ。結局、ほとんどこの沢を登って滑ったのだが、詳しくはGoogleアルバムを参照。2年ぶりに「むらちゃん」に会えて、楽しい時間を過ごさせてもらった。グループの皆様、ありがとうございました。
今回、テスト的にF3のインナーとT3のシェルを組み合わせてみたのだが、先日の高松山以来、F3インナーでの靴擦れ癖ができてしまったのか、今回もかなり重傷となったので、翌日は、須走口からもう一回登るという当初の計画を泣く泣く(?)変更して、箱根ドライブ。写真は芦ノ湖スカイラインからの富士山だ。やや曇り気味だったが富士・箱根・伊豆の素晴らしい展望を楽しむことができた。写真の富士山の左端が、土曜に通った沢の辺り、右端が須走口からのルート、真ん中左のくぼみが宝永火口。レストハウス駐車場での、フェラーリ、ランボルギーニ展示会(!)など、さすがに凝ったクルマ、バイク満載のスカイラインでした。

2012年5月9日水曜日

GW後半:立山(ぱっとしない)

 連休後半はぱっとしない天気予報に違わず、ぱっとしない立山だった。入山は立山駅。「webきっぷ」で室堂直行バスを予約しておいたので、乗り換えなしで室堂へ。3日は雨の予報だったせいか、人影も少なく、予約なしでもスムースに行けたみたいだった。雷鳥荘まで来ると、宿の周りだけ雪の色が違う。このところずーっと雪が降っていなかったので、すっかり硫黄の色に染まってしまっている。予報と違って午後はまずまずの天気だったので、剱御前小屋往復。宿に戻ってくつろいでいると、ビルさん一行(Dancing Snow)が到着し、夜まで延々と飲み会に混ぜて貰う。ハンガリー語で再三「乾杯」(エギシュ、ウングレ!)。
 4日は朝から雨。昼頃に少しましになったので、今夜の宿泊地、一ノ越山荘に移動。小屋に入ってから、窓を見ていると、だんだん雨からみぞれ、雪に変わっていった。泊まる人は少なく、個室が貰えて快適だが、いささか寒いので布団にくるまっていると、一人一個の豆炭あんかが配達された。これがいい具合に朝まであったかかった。食堂はストーブで快適なので寝るまではここでテレビ見たり本読んだり。シチューの夕食もたいへんおいしい。
 5日は、朝のうちは風が強く、ガスがなかなかとれないので小屋で待機。やっと10時過ぎになってガスが取れたが、天候はイマイチ不安定なので獅子ヶ岳手前まで御山谷を滑っただけで、引き返した。降雪のおかげで久しぶりに快適な滑りを楽しめた。午後は、ノートラックの山崎カールを少し登り返して滑ったが、遠景は晴れているものの、滑る斜面に日が差さず起伏が見えないことに加えて、下るほどにねばった雪質となって苦労した。
 6日は、周囲の山にかかるガスがどんどん低くなり、強風が吹き出した。早々に室堂に向かって撤収を決めたが、みくりが池に出るまでの小丘を越えるところで風で倒されたり、あられがバリバリ降ってきたり。稜線を避けて行くうちに視界不良のため室堂山荘方向に行きすぎたりなんてのもあって、なかなか勉強になった。麓に下りれば、今度は強烈な雷雨がおそってきたりもしたが、雨後の新緑はひときわ美しく、この季節の富山の美しさを満喫しながら帰路についた。

2012年5月8日火曜日

GW前半:御嶽のこっちとむこう

晴天に恵まれたGW前半は、木曽御嶽の長野側と岐阜側を訪ねた。左図は二日間のGPSトラックで、右が長野側、左が岐阜側だ(赤が登り、紫が下り)。現場では、あまり同じ山に登っている気がしなかったが、こうして眺めるとほぼ一直線上を反対側から登っていたことがわかる。まず長野側は、ちょっと前までポピュラールートだったおんたけロープウェイから登るコース。スキー場が営業休止して、ロープウェイが6月1日からしか動かなくなった今となっては、隣接する黒沢口登山道の中ノ湯までの道路が開通する4月下旬からしかアクセスできなくなってしまった。中ノ湯に車を置いて、雪におおわれた林道沿いに旧スキー場に出てトップまで登り、あとは勝手知ったるルートをたどって山頂稜線までシール+スキーアイゼンで登り着いた(特に表示はなかったが、公式にはスキー場の立ち入りは禁止されているとのことなのでご注意)。登山道沿いに登った方が速いかもしれない。
滑りは、今シーズンなかなか味わえなかった極上のザラメ雪。まず、左図の左端に見えるルンゼを滑り、右に(滑ってる当人には左に)大きくトラバースして、一番右に見えるシュプールを刻んだ。おんたけ2240スキー場から上がる王滝口ルートと比べると、樹林が薄く、適当な傾斜の広い斜面が長く続くので、スキーツアーには適したコースだけに、スキー場休止で気軽に使えなくなったのは残念だ。おなじみの「上天気」でひと風呂あびてから、夕方の光の中で近所の散歩を楽しんだ。
 翌朝は濁河温泉から登る「尺ナンゾ谷」。コースの出だしで、これまで徒渉か丸木橋の通過が必要というので敬遠していたが、林道工事が進んで、最近立派な橋がかかったとテラモト氏に聞いたので行ってみた。詳細はGoogleアルバムを参照。今回は朝8時スタートだったが、行程が長いのでこれは遅すぎ。当日、トレースを追わせてもらった先行者と途中ですれ違ったが、朝5時半にスタートして剣が峰まで行って来たそうだ。冬期(4月末まで)はチャオー濁河温泉間の道路が朝8時半まで夜間通行止めなので、早朝スタートをするためには、前の晩から濁河温泉に入っておく必要があるが、この日は2,3日前にこの制限が解除されていたので、もったいないことをした。4月上旬ならコース前半のヤブ漕ぎもなく、上俵山あたりの滑りも快適そうだが、この時期は上部斜面がハードバーンのことが多そうで、なかなか時期を選ぶのが難しそうなコースだ。
 以前、夏に二日がかりで田の原・濁河温泉往復を歩いたが、スキーでもやってみたいものだ。おんたけ2240が4月中旬に営業を終わる直前に、田の原→尺ナンゾ→濁河温泉が良さそうかな。で、帰りは濁河登山道沿い→飛騨頂上→賽の河原→田の原とか。来シーズン以降のお楽しみ。

2012年4月17日火曜日

高松山

 一昨年に続いて、築田さんのグループに入れてもらって、頸城の山々の一つ「高松山」に行ってきた。このあたりを訪れるのは、ずっと前に火打山北面を滑って笹倉温泉に下りたとき以来だ。そのときは糸魚川から夜行列車で米原経由で帰ってきたこともあって、はるか遠いエリアだと思っていたが、糸魚川・岡崎は、高速道路で370kmだから、妙高・岡崎ぐらいの距離なのだなとちょっと驚く。ベースになる笹倉温泉は、糸魚川から車で30分ぐらいなので、北陸新幹線が開通すると関東から結構アクセスのいいエリアになるので、訪れる人が増えそうな気がする。
 行程の詳細はGoogleアルバムを参照(上の写真は、アマナ平)。今回は急な登りがあるのでTLTで行ったが、やせ尾根の登高ではテレマークでは感じたことのない不安感を覚えた。慣れていないせいかもしれないが、雪をふみしめる感覚のダイレクトさは、テレマークの方が良いように思う。TLT用のスキーアイゼンがちょうつがい式なので、クライミングサポートを高くすると効きがわるいせいもあるかもしれない。ただ、今回、築田さんが「革靴+3ピン、クライミングサポートなし」でスイスイ登って行かれるのを見ると、このところ道具に凝りすぎて基本を忘れていないかいと諭されたような気もした。
 築田さんの話では、以前は一ノ倉谷の途中が通れるのかどうかわからなかったところを、築田さんたちが行ってみて通れることがわかり、ポピュラーなルートになったとのこと。標高差は1200mほどあって結構タフなルートだが、変化に富んだ面白い周回コースだった。

2012年3月23日金曜日

栂池から岩岳へ

 青い表紙の「山スキールート図集」に紹介されていた、栂池自然園から岩岳スキー場へ尾根をたどるコース。栂池と、西山スキー場(現在の岩岳スキー場の下部にあった)を結ぶので、『西栂コース』とか『西山栂コース』と呼ばれていた。(参考:栂池ヒュッテ旧館にあったスキーコース案内図)地形図で見ると尾根の分岐が結構複雑なので、安全を期して岩岳から登るかとも思ったが、天気が良くて見通しが効きそうなのと、GPSにコース上のポイントを沢山設定しておいたので、なんとかなるだろうと、ゴンドラとロープウェイを乗り継いで自然園からスタートした。地図のGPSトラック上の各ポイント(赤丸は古い標識の位置、ピンはその他の写真撮影点を示す)で撮影した写真を、Googleアルバムに載せたので、両者を見比べてもらうとコースのイメージがつかめると思う。全体に傾斜がゆるく、滑る楽しみは薄いが、オリエンテーリング的なおもしろさがある。ふつうの板で行ったので、なるべく登り返しを避けようと、慎重なコースどりをしたおかげで、シールを貼り直さずにすますことができたが、ウロコ板ならばもっと気楽にトライアル&エラーが出来そうだ。全行程が長いのでその点は要注意だ。1301mの「ホウの木平」から落倉方面に尾根上を下りて更に低い丘を越え、栂池スキー場の鐘の鳴る丘ゲレンデに戻ることもできるそうだ。岩岳スキー場ボトムから栂池駐車場までタクシー約2000円。

2012年3月22日木曜日

飯縄山クラシックツアー

白山書房の青い表紙の『山スキールート図集2』の巻頭図版で紹介されているのがこのコース。先日伊藤さんたちが行ったのをブログで見たり、フジケンの記事が岳人に載ったりしていたのに刺激されて、初めて行ってみた。
 前日に霧と小雨の中を戸隠中社の宿に着いたときには、「このところこんな調子で...」と言われてちょっとがっくりだったが、丹念に神社参りをしたおかげか、翌朝は久しぶりの晴天となった。リフトで瑪瑙山頂上に上がったときは、まだ飯縄方面は雲に覆われていて、初めてのコースで、しかも下りスタートだけに、やや緊張したが、コルから登り出す頃には視界すっきりとなった。夜に少し降ったので、前日までのトレースがきれいに覆われ、新鮮な気持ちでルートファインディングを楽しむことができた。
 山頂直下はやや急傾斜で樹林も濃く、雪面も堅いのでスキーアイゼンを装着。年末につけておいたブンリン式の初使用だ(幅90mm、フィンなし)。これまで使っていた「半月板」式と比べると、取り付け金具周辺の雪を完全に落とさないと取付けられないのがややわずらわしい。ここ(←)まで来れば、もう穏やかな山頂の一角。丁度、登山の人達が南登山道から上がってきたのと同時に山頂到着。長野盆地方面は雲があってすっきりとは見渡せない。神社のあるもう一つの山頂からの稜線が意外にラッセルが深くて苦労したとのこと。僕らが先にスキーで通ってれば少しは楽だったでしょうにね。シールのまま稜線を辿る。
 滑り出しはやや高度感のあるオープンバーン。しかし、雪がわるい。風と低温でハードバーンになっているところと、ねっとりした新雪のミックス。行く手に見える洗濯板状の尾根は、どうこなすのかと思いながら下ったが、左側面をうまくトラバースすることができた。北アルプス方面は雲に覆われているので、一種、箱庭のような風景を楽しみながら、やぶっぽい尾根を下りていく。
 1750mあたりで笠山方面の尾根に入りかけるがGPSを見て右に軌道修正。やぶが濃いめで見通しがあまり効かない。1431m地点に小さな社と鳥居がある。このあたりからは←こんな感じの樹林の中をまっすぐ下りていくが、相変わらずの悪雪で苦労する。昨日までのシュプールが凍り付いてひっかかる。安全策をとって1200mの林道まで尾根を辿り、林道沿いに中社ゲレンデに戻り、リフト2本を乗り継いで怪無山にあがってスタート地点に滑り込んだ。
 ゲレンデからは、戸隠や高妻山、その背景に北アルプス連峰、北には火打や妙高まで美しく眺められ、景色の良いスキー場だと思った。このあと、県道36、国道406で鬼無里経由で白馬のせんじゅに行ったら、マニアックですねぇと言われた。ふつうはオリンピック道路に出るのだそうだ。

2012年2月9日木曜日

フリーヒール・スキーイング

1988年に出たこの本。当時のテレマーカーの間では結構有名だった本だ。「フリーヒール・スキーイング:あらゆる(雪の)状態でのテレマークおよびパラレル技術の秘密」というタイトルに示されているように、カカトを固定しない道具を使って行うテレマークターンとパラレルターンを同等にあつかっているという点で、他に類を見ない本だ。著者のポール・パーカーはクロカンやアルペンのインストラクターを皮切りに、TUA社のテレマーク用スキー(現在ではMovement社の板にその技術が流れ込んでいると聞く)の開発に携わったり、Garmont社のテレマークブーツ開発に中心的役割を長らく勤めたり、非常に幅広い立場からスキーという物に関わって来た人だ。1992年3月に奥志賀で開催された「パタゴニアカップ」テレマークレースにYvon Couinardと遊びに来てくれたときにその滑りを見る機会があったが、あまりにもスムーズな滑りに、そのすごさが良く分からん、というか、「これが大リーグボールだ!!」といったけれん味がなく、淡々とどこでも滑ってしまう、という風情だった(と思う、実はあまり良く覚えていない)。それだけ実用的かつ大人のスキーだったのだと思う。そういうところが、テレマーク命!な、当時の多くのテレマーカーには受けなかったのか、この本も邦訳も出ないまま、いつのまにか忘れられてしまったように見える。このタイトルに興味を持った人は、読んでみてはどうだろうか。2001年刊の第3版(上記の奥志賀でのデモの様子がおかしく書かれたコラムも追加されている)がアマゾンで買えるし、amazon.comにはkindle版もある(内容の一部はkindle版のところで見られるので読めそうかどうかチェックできる)。多少古めかしくなったところもあるかもしれないが、スキーの原理は何も変わっていないし、自分の滑りの幅を広げ、どんなコンディションでも楽に安全に楽しく滑り降りるための技の引き出しを増やしてくれる本だと思う。

2012年2月6日月曜日

厳冬の霧ヶ峰

記録的な豪雪が一段落した週末、あまり積雪の多いところはリスクと苦労が多そうなので、積雪控えめな中信で遊ぶことにした。土曜は、近い割にガッツリ滑れるふじぱらでゲレンデ修行。昼頃は、アイスバーンにならないギリギリの堅雪で気持ちよく飛ばすことができたが、日が傾くにつれて氷の層が露出しだしたのでリタイヤして蓼科の宿に向かった。いつも蓼科へは最寄りの諏訪ICからアクセスするが、この日はふじぱら最寄りの諏訪南ICあたりから斜めに地道を走ってみた。諏訪ICからビーナスライン沿いの風景はごちゃごちゃしていて好きになれないが、こっちの道は八ヶ岳の眺めといい、次第に近づく車山といい、大変よろしい。
 日曜は車山スキー場から霧ヶ峰をスキーで散策して、エコーバレーやブランシュたかやまに行ってみるプラン。たかをくくってのんびりしていたら遅くなって、リフト2本に乗って車山山頂到着が11時過ぎになってしまった。写真のように八ヶ岳、富士山、甲斐駒などなど大変美しい。御嶽、乗鞍、北アルプス、更に北の方にはひときわ真っ白な火打山も小さく見える。エコーバレーのリフトトップがすぐそこに見えるが、みるみる頭上は雲が増え、風はこのところの寒気の名残でとても冷たい。まぁ、せっかくだから距離感を体験してみようと、一段下りた車山乗越でシールを貼って歩き出す。案内図
 このあたりの雪原はシュカブラとブッシュが混じってあまり快適ではない。シュカブラの横っ腹にスキーの先端が刺さると、意外に堅いのでトップを上げるのに苦労する。かと思うと、スキーごとゴソッと沈むような吹きだまりもある。要するにスキーで快適に歩き回るのに適した季節ではない。訪れる人はほとんどスノーシューを履いて、夏の遊歩道を歩いている。どうも道を辿った方がスキーが沈まず楽そうだと、車山乗越から北上して、高原と山彦谷(エコーバレーの元々の名前...)との境を走る道を辿ってエコーバレースキー場に向かった。途中、狐を発見。太い尾が良くめだつ。南の耳の手前のコルからスキー場に滑り込むと、快適な滑り心地に感動した。レストハウスハイジで冷えた体を温めてラーメンを食す。
 更に南の耳、北の耳を越えてブランシュたかやまへと思っていたが、つのる寒さにあっさりあきらめて帰路につく。だいたいスタートが遅すぎる。帰りはショートカットして蝶々深山(ちょうちょうみやま)山頂を通る。写真は山頂から車山乗越(中央のわずかに凹んだ白いところ)に向かう遊歩道。スキーにはやや狭いがシールを貼ったまま軽いボーゲンでガタガタ下るとわるくない。少なくともシュカブラの海をゴソゴソ歩くよりずっと速い。
 乗越の手前で車山の肩からの道が合流する地点から振り返った蝶々深山。剱岳も山ならば、この穏やかなでっぱりもまた山。左端に小さな森が見えるあたりが車山の肩で、森は「ころぼっくるひゅって」の防風林だ。ビーナスライン開通以前にこの小屋を建て、妻子と共に定住して登山者を守ってこられた手塚宗求さんのエッセイ集「邂逅の山」「遠い人 遙かな山」には、このあたりの自然の美しさと厳しさが綴られている。
 ヒュッテと防風林を望遠で撮ると、下の森には守るべき建物がないように見える。上記の本によると、当初からずっと山小屋は上の場所にあるのだが、途中で一旦、生活のための小屋を下の森の場所に建てた時期があり、後に上の小屋の拡張を可能にするために下の小屋は解体したが、森だけが残ったとのこと。「小屋の跡を取り巻く防風林は、すでに守る主を失ったが、この湿原のほとりに住んだ私達の青春の軌跡を示す森になった。(「遠い人 遙かな山」の一章、「軌跡の森」より)」ほんの一時とはいえ、厳冬期の霧ヶ峰を味わったあとで、ぽつぽつと読み返すと、エッセイがまた心に沁みた。

(2冊から抜粋した平凡社ライブラリーの「新編 邂逅の山」には、この章が入っていて、ebookでも買えます