You are like the wind, blowing across the land and... passing on. ---The Magnificent Seven, 1960---
2017年4月24日月曜日
雷鳥荘読書での発見
立山の雷鳥荘の書棚は結構面白い本がある。今回は一泊だったのでざっと眺めただけだったが、写真の「辻まこと・父親辻潤」。冒頭のアナーキスト辻潤のアナーキーな年譜を見ていたら、大正5年11月(同年4月に妻伊藤野枝が家出)から比叡山の宿坊に長期滞在していたところ、宮嶋資夫が騒動を起こしたのに連座して翌年6月に宿坊から追い出された、とあった。これでふと思い出したのが、このところ紀行文が気に入っていろいろ読んだ若山牧水。「比叡山」という短編の中で、ためこんだ仕事を静かなところで片付けようと、友人が何日でも泊めてくれるからと勧めるのに従って、比叡山の宿坊にやってきたら、宿坊のばあさんに「この節は泊まりは一泊限りです」とけんもほろろの応対をされて面食らったという下りがあった。結局、ふと休みに入った茶店のオヤジに相談して、爺さん一人で寺守りをしている荒れ寺に転がり込んで、麓に酒を買いに行かせては、爺さんたちを相手に酒盛りをするという顛末が短編になったのだから良かったのかもしれないが、なぜ宿坊でそのような応対をされたかは説明がなく気になっていた。牧水の年譜をwebで調べなおすと比叡山を訪ねたのは大正7年5月。まさに1年前にややこしい連中が騒動を起こしていたので、宿坊にもチェックが入りそういう方針になったのだろう。雷鳥荘の部屋で寝転がりながら、kindle本を読み返し、webをチェックしてこういう調べものができたのだから愉快だった。
2017年4月17日月曜日
名古屋の北でポタリング
面白そうな場所の情報があると、とりあえずGoogleマップに星印をつけておくというのは今や多くの人がやっていることだろう。一日時間があったので、クルマに折りたたみ自転車を積んで、最寄りの☆集合地帯の名古屋北部に向かった。
名古屋高速の黒川ICで降りて稚児宮通を東へ。この通りの名前の由来となった「兒子社(ちごしゃ)」または「兒子八幡宮」になぜか☆がついていた。ここで面白いと思ったのが、鳥居と拝殿の間にある衝立上の壁「蕃塀(ばんぺい)」。尾張地方でよく見られるものだそうだが、三河ではまず見られない。いきなり尾張と三河の違いを見せつけられた。
兒子社の前の通りが木曽街道。名古屋城と木曽路を南北に結ぶ街道で、今も沿道に神社や寺が多く雰囲気がある。北に向かって自転車を走らせると谷田川に突き当たる。左にはザ・シーン城北のタワー。右に進むと堀川と庄内用水の源流(庄内川から取水して、トンネルで谷田川の下をくぐって来る)。
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